病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
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翡翠と漆に込められた死者への思い
(北海道函館市)
 
品名:
翡翠製玉
 
2018/5 函館市縄文文化交流センターにて当方撮影
出土:
北海道函館市 著保内野遺跡
時代:
同じ土坑墓の坑底から出土した漆片のAMS年代測定は 3,268±34年(BP) 縄文時代後期後半
展示会場:
函館市縄文文化交流センター(北海道函館市)
 

北海道発の国宝に指定された中空土偶(※1)が出土した北海道函館市の著保内野遺跡は、平成18(2006)年の調査により環状配石遺構と土坑墓群が見つかりました(※2)。土偶が出土した地点より北側(噴火湾側)の海岸段丘辺縁部にあった環状配石遺構は直径約6mもあり、外帯には長さ50〜60cm、幅20〜30cmもある大型礫が、内帯には10〜20cmほどの破砕礫が配されていました。外帯の大きな石は川から人々が運んできたものなのか、あるいは遺跡周辺にあった岩を砕いたものなのか?いずれにしても大変なことです。

環状配石遺構と土偶が出土した土坑墓(GP-1)とのちょうど中間あたりに、上面中央に大型礫が置かれた土坑墓(GP-2)が見つかりました(図1)。南東方向に長軸が伸びた楕円形を呈したこの土坑墓の大きさは長さ1.8m、幅0.8mでした。成人が足を伸ばした姿勢で埋葬されていたとしても、きっとゆとりがあったことでしょう。

この土坑墓(GP-2)の南東側が半裁され、発掘が進められたところ、覆土下部から翡翠製玉が1点出土しました(写真2)。長さは2.4cm、幅0.96cm、厚さ1.04cm、重量3.4g(※3)ありました。きれいに穴がしっかりと開けられており、紐を通すことが前提で作られていたことがわかります。遺跡発掘調査事業報告書には「側面の4か所を溝状に研磨し,僅かであるが脚を作り出していることから,形態としては獣形の範障で捉えることができる。回転による片側穿孔で,孔はすり鉢状を呈している。」(※4)と記されていました。報告書の図(図2)や写真(写真3)では展示会場で気付くことのできない部分も、よくわかります。

2018年5月に函館市縄文文化交流センターを訪れた際、館内にはこの翡翠製玉のそばに、大きな展示解説パネルが掲げられていました。日本地図上に示された緑色の丸は翡翠が出土した遺跡、赤い丸は翡翠の産地です。パネル解説文によると、縄文時代の遺跡から出土する翡翠のほとんどの産地は、新潟県糸魚川市姫川周辺のもの(写真4)とわかっているそうです。散在する数多くの場所で同じように翡翠を欲する人たちがいたことを考えると、当時の人々の心を共通に揺り動かす何かが翡翠に潜んでいた、と言えますね。そしてパネルに書かれていた次の文章が、雪国の遺跡としてとても印象的でした。

 

ヒスイの母岩は白色で、その中に光沢のある碧色があり、その姿はまるで春の訪れとともに雪の中から若草が萌え出るように見えます。縄文人は、そこに生命の息吹を感じたのでしょうか。

引用資料:
函館市縄文文化交流センター解説パネル

雪解けが始まり、茶色の地肌が見え始め、緑の植物が姿を現し始める生命の力を翡翠に重ね合わせていたのであれば、土坑墓(GP-2)に埋葬されていた人は、再び命が生まれ出ることを願われ、翡翠製の玉と共に葬られたのかもしれません。

土坑墓(GP-2)からは翡翠製玉の他にも、注目すべきものが見つかりました。それは土坑墓の南東部、深さ0.7mの坑底から出土した櫛と考えられる数点の漆片です。直径3mmの円形の櫛の歯の抜け跡も確認されました。そして加速器質量分析法(AMS)によって放射性炭素年代測定が行われ、漆片は3,268±34年(BP)とわかり、土坑墓の構築時期は縄文時代後期後半に位置づけられると判明しました(※5)

著保内野遺跡から北西に6キロほどの地点にある垣ノ島B遺跡(※6)の土坑墓から漆の残欠が出土しており、漆でできた飾りの衣類を身にまとった人が埋葬されていたと考えられています。赤色は蘇生を願う気持ちが反映されている、と解釈される色。垣ノ島B遺跡の漆残欠は約9,000年前のものだと判明していますが、数千年の時を隔て僅か数キロ離れたお墓からも、同じように漆由来のものが見つかったということですね。死者に対する思いや願いは、数千年もの間、共通の形・手法をとって脈々と続いてきたと表現できると思います。著保内野遺跡の土坑墓(GP-2)底の漆片、そして覆土の翡翠製玉、それらはここに埋葬された人のこの世への蘇りを、あるいは新しく死後の世界に命を得て、そこで安らかに生きてほしいという願いを意味するものかもしれません。

 
<参考ウェブサイト・参考/引用文献・資料>
※1 Lana-Peaceエッセイ
歩き出そうとする土偶(北海道函館市著保内野遺跡)
※2 函館市教育委員会編(2007)『著保内野遺跡 平成18年度国庫補助事業による市内遺跡発掘調査事業報告書』函館市教育委員会, p.15
※3 前掲書2, p.10
※4 前掲書2, p.9
※5 前掲書2, p.15
※6 Lana-Peaceエッセイ
垣ノ島B遺跡 9,000年前の墓から出土した漆製品(北海道函館市)
 
<図>
図1 土坑墓(GP-2), 前掲書2, p.6より引用
図2 翡翠製玉, 前掲書2, p.10より引用
 
<引用写真>
写真1 著保内野遺跡出土土偶著保内野遺跡 再調査時全景(2006年)
写真2 半裁された土坑墓(GP-2), 前掲書2, p.18より引用
写真3 翡翠製玉, 前掲書2, p.19より引用
写真4 翡翠産地と翡翠出土遺跡分布図
  写真1, 4  2018/5 函館市縄文文化交流センターにて展示パネル当方撮影
 
 
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歩き出そうとする土偶(北海道函館市 著保内野遺跡)
翡翠と漆に込められた死者への思い(北海道函館市 著保内野遺跡)※本ページ
 
2019/5/29  長原恵子