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豊原4遺跡出土 足形・手形付土製品
(北海道函館市 蔵)
 
品名:
足形・手形付土製品(重要文化財)
 
2018/5 函館市縄文文化交流センター解説パネル・当方撮影
出土:
北海道函館市 豊原4遺跡
時代:
縄文時代早期末, 約6,500年前
数量:
5個
所蔵先:
北海道・函館市(函館市縄文文化交流センター保管)
展示会場:
2018/5 函館市縄文文化交流センター 常設展
2018/8 東京国立博物館「縄文―1万年の美の鼓動」
 

2018年5月、北海道の函館市縄文文化交流センターを訪れた時、とても印象深く釘付けになったものがありました。それは函館市の遺跡から出土した縄文時代の土版です。決して派手な趣向を凝らした装飾が施されているわけではありません。素朴な形と色合いの土版には、小さなこどもの足形が残されていたのでした。当日の函館は警報が出たほどの暴風雨で館内の利用客は私以外に一組いただけ。まるで貸切状態だったこともあり、人の気配のない静まり返った館内で、しばらく立ち尽くして見ていました。数千年もの時間を経て、見つかったこの土版。そこにはっきりと残っていたこどもたちの足指の跡は、たしかにあの時代、あの場所でこどもたちの人生が息付いていた事実を物語っていました。

その後2018年8月、東京国立博物館で開催された特別展「縄文―1万年の美の鼓動」に行ったところ、なんとあの時の土版がまた出展されていたではありませんか。特別展の会場は、どこに行ってもざわざわとした黒山の人だかり。その第二会場の一角に静かにたたずんでいた土版たち。それは青森から出土した土版と一緒に展示されていました。小さな足指の跡が残る土版からは、かわいらしいこどもたちの声が聴こえてくるかのようでした。後日、土版出土時の情報が詳しく記された遺跡発掘報告書を東京 千代田区の国会図書館で閲覧したところ、会場の展示ではまったく気付けなかった大切なことを知ることができ、あの土版にどれほどたくさんの思いがこもっているのかが伝わってきました。今日は北海道函館市の豊原4遺跡から出土したこれらの土版を取り上げたいと思います。

---*---*---*---

粘土板の上にこどもの足形が押され、焼成されたものが古い遺跡から見つかっていますが、それらは正式には「足形付土製品(手形・足形付土製品)」と呼称されているようです。それはちょっと長いので、ここでは以下「土版」と称すことにします。これらの土版は縄文時代の北海道、青森、山形、岩手、新潟などで見つかっています。縄文時代は1万数千年も幅があるので「早期」に限定し、場所を「北海道」に絞ってみると、足形の付いた土版出土の報告は現時点で6箇所の遺跡から行われています。下の地図(図1)にその場所を示しました。いずれも見つかった場所は土坑墓、つまり地面を掘って作った穴のお墓に埋納されていたもので、合計31個の土版が見つかっています。

図1 縄文時代早期 北海道の足形付土製品出土状況

今回取り上げる豊原4遺跡の詳細は後述するとして、その他の遺跡に関して、皆川洋一氏の論文(皆川洋一(2006)「縄文時代早期末葉の「足形付土製品」の研究」『北海道考古学』42, pp.17-32)の中にわかりやすく情報が出ていましたので、表にまとめてみました。いずれの土版も幼いこどもの足形がとられたものであることがわかります。

千歳市
(美々5遺跡)
土坑墓1基から乳児と思われる足形土製品2点が槍先やつまみ付ナイフと共に出土。
美々7遺跡
(千歳市)
大型土坑墓2基から4点の土製品が小型土器、抉入り石器、つまみ付ナイフと共に出土。足形の年齢は0〜8 歳。そのうち一つは足形は長さ15.3cmx幅7.1cmと判明。
美沢3遺跡
(苫小牧市)
住居や盛土遺構の付近にあった大型土坑墓1基から足形土製品が2点出土。同一人物の0歳児の左右の足形と推定される。
吉井の沢2遺跡
(江別市)
土坑墓1基から1点の土製品が出土。
足形は長さ7.8cmx3.3cm、0歳児と推定。
垣ノ島A遺跡
(函館市)
土坑墓4基から17点の土製品が出土。周囲に同時期の住居地は見られない。足形の年齢は0〜3歳。
表1 縄文時代早期末葉 北海道の足形付土製品出土 遺跡(豊原4遺跡を除く)

さていよいよ豊原4遺跡のご紹介です。豊原4遺跡は函館空港から北東に約3キロの場所に位置する遺跡です。豊原4遺跡周辺にはいくつもの遺跡があるので、地図を作ってみました。豊原4遺跡は赤い丸、それ以外の遺跡は青い丸で表しています。函館空港滑走路及びその周辺の函館空港遺跡群(函館空港第1〜10地点、中野A, B遺跡、石倉貝塚、赤坂1, 2遺跡、根崎遺跡)の他に、石倉遺跡、汐泊遺跡、新湊町遺跡、豊原1〜3遺跡、汐泊シャチがあります。函館空港遺跡群の東端の石倉貝塚はかつてこちらのエッセイ(※1)でも取り上げたことがありますが、縄文時代後期の甕棺土器が出土しています。古くから海の幸、山の幸に恵まれ、住みやすい土地だったのだろうと想像できます。

図2 豊原4遺跡周辺の遺跡

平成10(1998)年、北海道函館市豊原町から同市鶴野町へ至る農道約3kmに対して、拡幅舗装の工事が行われることとなりました。このあたりは亀田半島の三森山から津軽海峡へと注ぐ汐泊川の支流の小さな川が流れており、耕作地や牧草地に囲まれたのどかな場所です。工事の事前調査で埋蔵文化財の存在が確認され、平成12年度から2年に渡り発掘調査が行われました(※2)。「豊原4遺跡」と名付けられたこの土地からは99軒もの住居跡、188基のピット(穴状の遺構)、37基のTピット(落とし穴の遺構)が見つかり、117,534点にものぼる遺物(土器、石器、土・石製品等)が出土したのです(※3)

そして豊原4遺跡の中で群を成していた10数基のピットは、縄文時代早期末に属する土坑墓群と判明しました。いろいろな副葬品が見つかりましたが、2基のピット(P-100, P-106)からは足形・手形のついた土製品が5枚出土したのです(※4)。これらは縄文時代早期後半、6,500年前のもの(※5)と考えられています。すべて土坑墓の底面より浮いて出土したことから、土版は遺体の上に置かれていた可能性がある(※6)そうです。人骨が同時に出土していなかったのは、土壌の酸性度の影響でしょうか?

【土坑墓P-100】
土坑墓群の中でもP-100は大きく、他のピットに固まれるように群の中心に構築されていました(※7)。横幅が約1.7mほどの楕円形の土坑です。下の写真で12時の位置にある白っぽい長方形が大きい土版で、そのすぐ下側にある一回り小さい茶色いものがもう1枚の土版です。更にそこから40cmほど離れた8時の位置に茶色の土版が1枚あります。
そして2時の位置から1枚、5時の位置から重なり合うように2枚、磨製石斧が見つかりました。
9時から11時にかけて、そして7時の位置に玉髄製、珪質頁岩製のつまみ付きナイフ(石匙:いしさじ)があり、7時の位置には玉髄製の剥片類等も集まっていました。

土坑墓P-100から出土した土版は次の通りです。

土版1 (P-100 報告書整理番号33)
土版の大きさ:長さ21.6×幅14.1×厚さ2.7cm, 重量:755g

土版を現代の紙のサイズで表すと、A5版に相当しますね。出土した5枚の土版のうち一番大きく、展示会場でも迫力がありました。こちらの土版の両面及び側面に細い斜めの線のような模様がありました。これは単に引っ掻いてつけた線ではなく、撚ってできた細い紐を押し当てて作られたものです。土版の片面に左足底が、そして裏面には左手形が押され、土版は左足底の面が上になった状態で出土しました。

展示会場では土版をたくさん撮影してみましたが、あまりきれいに撮れなかったので、報告書に掲載されていたカラー写真と線描画、拓本を合せて出しておきます。こちらの写真を見ると最も明確な足の指跡は人差し指と中指で、濃い影ができるほどのくぼみがあります。踵や土踏まずの部分ははっきりしません。しかし拓本を見ると、他の部分もはっきり見えます。足底の長さは約17.5cmで親指から小指までの幅は約8.5cm、こちらは10歳過ぎくらいのこどもの足形(※8)と考えられているそうです。もし10歳のこどもが立って体重をかけて粘土板を踏んだ場合、もっと明確な跡がつくだろうと思います。恐らく横になっている、あるいは座っているこどもの足に粘土板を押し当てて、足形をとったのではないでしょうか?土版の裏面に残っていた3つの長めの楕円は、拓本で見るとそれが手の指先の痕跡であることがわかります。向かって右端の楕円が一番幅が広く力強いため、恐らくこれが親指、つまり左の手のひらの跡が残っていると考えられます。そして10歳のこども本人が自分で足形をとったとしたら、左足底に土版を左手で強く押し当てることはとても難しい動作となるため、第三者が土版に左手を添えて、こどもの左足の足形を取ったと考える方が自然だと思います。
土版長径の端側には穴が2個開いていました。この穴は擦れた痕が確認されているそうです。棒で穴を開ける時についたものなのか、ここに紐を通してぶら下げていた時に擦れて痕が残ったのかはわかりません。

 
土版2 (P-100 報告書整理番号34)
土版の大きさ:長さ16.6×幅12.6×厚さ1.9cm, 重量:342g

土版2は写真上からは見分けが難しいのですが、拓本を見ると左足底の跡を確認することができます。こちら足底の長さは約13.5cmで、足底面が上になって出土しました。線描図を見ると連続した斜めの撚糸痕があります。
こちらの土版の拓本には小さな足指の圧痕がリアルに残っています。胸が締め付けられそうです。土版の裏面は線描、拓本共によくわかりませんが、報告書によると足形を取るために土版を当てた人の手指と思われる圧痕が認められるそうです。
土版踵側には擦痕が認められる穴が2個ありました。

 
土版3 (P-100 報告書整理番号35)
土版の大きさ:長さ13.1×幅10.0×厚さ1.6cm, 重量:180g

土版1、2から40cmほど離れて出土したこの土版は写真上は撚糸文がはっきり見えますが、足形はよくわかりません。しかし拓本を見ると土版中央に、小さな赤ちゃんの指先のような楕円の跡が見えました。こちらは踵側に2個、そして指先の両脇あたりに2個穴があります。4個の穴に紐を通して吊り下げていたのでしょうか?あるいは柱に括りつけていたのでしょうか?
裏面については手形に関する情報はありません。

 
【土坑墓P-106】

幅1mほどの楕円状の土坑の覆土中層から、足形付土版とつまみ付ナイフ(石匙)が出土しました。2枚の土版は南東向きに並び、珪質頁岩製のつまみ付ナイフが5点、土版のそばにまるで寄り添うかのように、そしてナイフ同士は重なって出土しました。

 
土版4 (P106-報告書整理番号6)
土版の大きさ:長さ13.3×幅8.9×厚さ1.6cm, 重量:200g

土版の両面と側面に撚糸文が施されていますが、表面、裏面の撚糸文は2本の線の先端がまるで2つの川が合流するかのような形を作っています。両面共に足底跡がありましたが、出土時は左足底の面が上になって出土しました。写真では裏面中央部に小さな右足の人差し指から小指までの指跡がはっきり認められますが、拓本では更にその上方に3本の指先と足底上方の跡が残っています。裏面の足形は表面の足形よりも、若干小さい印象があります。年齢の前後するこどもたちが粘土板を挟んで足を合わせ、誰かが足首を持ってしっかり支え、足形をとったのかもしれません。こちらの土版には足底の踵の辺りに穴が1つありました。

 
土版5 (P106-報告書整理番号7)
土版の大きさ:長さ12.1×幅9.4×厚さ1.7cm, 重量:173g

こちらの土版の土台には両面共に撚糸文はありません。しかし出土時、上になっていた面にはそろえた両足の跡が見えます。その踵側には穴が1つあります。裏面は写真だけではよくわかりませんが、線描画と拓本を見ると手の指頭跡らしき楕円が3か所あります。足に土版を押し付けた人の指の圧痕と考えられています。大人が親指、人差し指、中指だけでこの土版を支え、赤ちゃんの足底に押し当てた時、こうした位置で楕円の圧痕が残るような気がします。

土版以外の他の副葬品
土版には石製の副葬品が多く伴われていました。下の写真は函館市縄文文化交流センターに展示されていた石槍、刃器(じんき)、抉(えぐり)入り石器です。当時、何かを射る、切る、割く、剥ぐ目的で作られていた石器が副葬品として埋納されたことは、埋葬されていた人を何かから守るために闘う、そうした武器としての意味が託されていたのかもしれませんね。

豊原4遺跡の複数のピットに共通してよく見られたのが、つまみ付ナイフ(石匙)です。
石から削り出され、形作られたこれらのナイフ、その加工技術の高さと細やかさは本当にすごいものですね。

こちらは蛇紋岩製の磨製石斧です。これだけ石をきれいに磨き上げ、形作ったその時間と労力は計り知れないです。斧刃部には著しい使用痕が認められたそうです。
故人が生前、使っていた石斧が埋納されたのかもしれません。

この他、土器が出土したピット(P-112)もありました。こちらからはつまみ付きナイフと共に東釧路IV式の深鉢型土器が1点出土しています。

この東釧路W式土器とは土器体部の縄文が羽状に施文されることが特徴(※9)とされています。帯広百年記念館のウェブサイトに掲載されていた東釧路IV式土器の写真(※10※11)を見ると、撚糸圧痕の線状の文様はドッキリするほど豊原4遺跡の土版の文様に似ています。土版4は特にその線がハの字のように組み合わされ、確かに羽のような文様を作り出しています。それは鳥をイメージしたのでしょうか。亡くなった赤ちゃんたちの魂が自由に飛び回り、遊ぶことができますように……そんな願いが込められていたのかもしないと想像します。

土版の意味
これら土版の作られた背景ですが、1歳前後のこどもが立てるようになったことを祝って作られた「立ち祝い」の意味がある(※12)と考えたり、幼く亡くなってしまったこどもの足形を形見として写し取り、住居の中に紐で吊るして飾り、親が亡くなった際にいっしょに埋葬された(※13)といった考え方もあります。前者の考えの場合、土版2〜4は該当しますが、土版1は年齢が大きすぎて当てはまらないですね。そうすると後者だったのでしょうか。約6,000年ほど前の北海道は平均気温が現在よりも1〜2℃程高かった(※14)と言われています。しかしながら冬の寒さをしのぐには十分とは言い難い住環境、食生活、そしてひとたび感染症が起こってしまったら人力で防ぎようのない当時の医療事情などを考えてみると、縄文時代のこどもたちが生き延びていくことは、現代の比にならないほどの過酷さを伴っていたと思うのです。

夭逝したこどもたちの命を惜しみ、生きた証を手元に残しておきたいと願い、亡くなったこどもの足形をとったのだろうと思います。そして住居跡からではなく、お墓から土版が出てきたことが更に重要な意味を持っていると思います。死後の世界を信じた親は、その世界で再会した我が子とずっと一緒に過ごせますようにと切に願い、その思いを周囲は尊重し、汲み取ったからこそ、親が亡くなった時にその遺体を我が子の土版と共に葬ったのだろうと思います。死は終わりではない、そうした死後の世界観が縄文時代の人々の心には存在していたのかもしれません。彼らにとって死は新たな世界での生の始まりだったのかもしれません。親子が再会して、また共に暮らす人生の新たな始まり。

そしてもっと想像を膨らませてみれば、サイズが小さく軽量な土版3〜5は、親御さんがネックレスのように肌身離さずつけていたのではないかと思うのです。そうすればこどもを近くに感じながら過ごすことができますものね。4枚の土版の足形裏面には手(恐らく大人)の指の圧痕が残っていましたが、それが親の手のひらならば、亡き子の足と親の手が1枚に納められたこの土版は、かけがえのない宝物だったに違いありません。親は胸元で子の存在を感じながら時を過ごすことができるのですから。

これらの土版は焼成が甘いことが特徴で、内部まで焼けていないために非常に脆く、水に濡れると溶けるものもあり、住居内の炉の火などで炙る程度に焼いた(※15)と考えられているそうです。また割れた土版の割れ口が摩耗して接合できないものもあることから、破損した後も大切に持っていたと考えられているそうです(※16)。破損しても大事にとっておきたい、それはやはり我が子の生きた証ですものね。きれいに描き残せる絵の具や紙があったわけではなく、写真を撮ることもできなかった時代に生きていた人々なのですから……。

豊原4遺跡の住居跡には地床炉、埋甕炉、石組炉の跡が確認されています(※17)。たとえばH-95の竪穴住居跡の床面からは石組炉が、H-23からは埋甕炉が見つかっています。煮炊きをしたり、暖をとったり、夜間の灯りとなったり、そういう炉の周りで人々は亡き子を偲び、思い出を語り合いながらこの土版が作られたのだろうかと想像します。

足形土製品と共に出土する副葬品のレベルの高さや、出土される大型土坑墓は墓域の中のヒエラルキー的構造で中核となる位置にある、といった理由から、これらの土版が埋納されていたお墓に眠る人は何らかの理由で非常に特別な扱いを受けた人(※18)という考えもあるそうです。当時に遡らなければ、わからないことが多いけれども、これらの土版にはこどもへの愛情や思慕の情があふれていることは間違いない事実だと思います。

 
<参考ウェブサイト・参考文献・資料>
※1 Lana-Peace アート・歴史から考える死生観とグリーフケア「甕棺土器 (北海道函館市 蔵)」
※2 函館市教育委員会編(2003)『豊原4遺跡』函館市教育委員会, p.3
※3 前掲書2, p.15
※4 前掲書2, p.15
※5 函館市縄文文化交流センター 展示解説板
※6 皆川洋一(2006)「縄文時代早期末葉の「足形付土製品」の研究」『北海道考古学』42, p.20
※7 前掲書2, p.331
※8 前掲書2, p.236
※9 帯広百年記念館 縄文土器ギャラリー
※10 帯広百年記念館 釧路IV式土器写真1(大正3遺跡)
※11 帯広百年記念館 釧路IV式土器写真2(大正3遺跡)
※12 北海道環境生活部くらし安全局道民活動文化振興課縄文世界遺産推進室(2012)『カックウと学ぶ 北の縄文世界』, p.12
※13 前掲資料5
※14 北海道環境生活部文化局文化振興課「北の縄文-縄文の生活文化:縄文時代の自然環境」
※15 前掲資料5
※16 前掲資料5
※17 前掲書2, p.15
※18 前掲書6, p.26
 
<表>
表1 縄文時代早期末葉 北海道の足形付土製品出土遺跡(豊原4遺跡を除く) , 情報ソースは皆川洋一(2006)「縄文時代早期末葉の「足形付土製品」の研究」『北海道考古学』42, 解説文pp.17-22を参照して当方作表
 
<図>
図1 縄文時代早期 北海道の足形付土製品出土状況(当方作図)
図2 豊原4遺跡周辺の遺跡(当方作図)
 
<引用写真>
写真1 豊原4遺跡出土 足形・手形付土製品(函館市縄文文化交流センター展示の様子)(※)
写真2 重要文化財「北海道豊原4遺跡土坑出土品」一括資料(函館市所蔵) 展示解説パネルより(※)
写真3 豊原4遺跡 土坑墓P-100の全体像 (参考文献2, 口絵1)
写真4 土版1 出土写真 (参考文献2, 口絵2,3)
写真5 土版1 線描図・拓本 (参考文献2, p.233)
写真6 土版2 出土写真 (参考文献2, 口絵4)
写真7 土版2 線描図・拓本 (参考文献2, p.234)
写真8 土版3 出土写真 (参考文献2, 口絵4)
写真9 土版3 線描図・拓本 (参考文献2, p.235)
写真10 豊原4遺跡 土坑墓P-106の全体像 (参考文献2, 口絵6)
写真11 土版4 出土写真 (参考文献2, 口絵7)
写真12 土版4 線描図・拓本 (参考文献2, p.241)
写真13 土版5 出土写真 (参考文献2, 口絵7)
写真14 土版5 線描図・拓本 (参考文献2, p.241)
写真15 石槍・刃器(じんき), 豊原4遺跡出土, 縄文時代早期(※)
写真16 抉(えぐり)入り石器, 豊原4遺跡出土, 縄文時代早期(※)
写真17 磨製石斧, 豊原4遺跡出土, 縄文時代早期(※)
写真18 石匙 豊原4遺跡出土, 縄文時代早期 (※)
写真19 深鉢形土器, 豊原4遺跡出土, 縄文時代早期(※)
 
※ 当方撮影(2018/5,函館市縄文文化交流センター)
 
関連のあるページ(足形・手形付土製品)
豊原4遺跡出土 足形・手形付土製品 (北海道函館市 蔵)※本ページ
垣ノ島A遺跡出土 足形・手形付土製品 (北海道函館市 蔵)
 
 
初出:2018/9/20 本文一部修正:2018/9/28  長原恵子