病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
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幼児・中学生の臨死体験

臨死体験は近年いくつも報告されるようになりましたが、大人とこどもの臨死体験は同じであるのか、そうではないのか…?今日はサム・パーニア医師とジェフリー・ロング医師の調査されたこどもの臨死体験についてご紹介したいと思います。

2歳のジョン(仮名)は心停止を起こし、心肺蘇生を受け、救急車で病院に運ばれました。無事一命を取り留め、彼は退院しましたが、祖母に「おばあちゃん、僕は死んだときに女の人を見たんだよ」と不思議な話を始めたのです。

私は娘に、ジョンが死にかけたときの話をしたのかと尋ねましたが、彼女は「そんなことは絶対に言わない」と答えました。けれども、それから数カ月間、彼は折にふれて自分の経験を語り続けたのです。遊びながら、子どもの語彙で話すのです。
例えば、「僕がお医者さんの車にいたとき、ベルトがほどけて、高いところから下を見ていたの」とか、「人が死んでも、終わりじゃないんだよ……女の人が僕を迎えに来たんだ……ほかにも大勢の人がいて、新しい服を着ていた。でも、僕には新しい服はなかった。本当には死んでいなかったから。僕は戻ってくることに決まっていたんだ」とか言っていました。


引用文献 A:
サム・パーニア著, 小沢元彦訳(2006)『科学は臨死体験をどこまで説明できるか』三交社, p.105

そのうちジョンは、同じ絵を何枚も描くようになり、段々複雑になっていきました。こちらはジョンが非常に幼い頃に描いたものです。


引用文献:前掲書A, p.106

絵の中央にいるのがジョンですね。帽子なのか髪の毛かわかりませんが、ジョンの頭頂部から上方に向かって一本の線が伸びて何かにつながっています。風船のようにも見えます。こちらについてジョンは「人間が死ぬと、明るい電気が見える……そして、紐でつながっているんだ」(前掲書A, p.107)と答えたそうです。

下の絵はそれからジョンが少し成長してからの絵となります。


引用文献:前掲書A, p.106
部屋の中央に置かれたベッドの上で塗りつぶして描かれているのは、心停止を起こしていたジョン自身の身体でしょうか。その真上に描かれたものが小さいので拡大してみると、両腕を広げた人のように見えます。

両足は一筆描きの線で表わされているので、もしかしたらこれは腕ではなくて、羽かもしれません。
右目はウィンクしているかのようです。口元が何となく朗らかな印象を受けます。「ベルトがほどけて、高いところから下を見ていた」という彼を表現しているのだとしたら、体外離脱していた間、彼(というよりも、彼の魂というべきだと思いますが)、ちっとも苦しくなかったということですね。きっと。

もう一例、同じくらいの年頃で蘇生を受けたこどもの例を紹介します。

3歳の女児ケイティは台所でカシューナッツを食べていた時、運悪くそれを気管に詰まらせてしまいました。窒息して顔色は青ざめ、意識を失ってしまったケイティ。消防士だった祖父は孫の気管からナッツを取り除いて蘇生しようと試みました。しかし彼女はぐったりしたままでした。そして通報から30分近く経って、ようやく救急車が到着しました。驚くべきことにケイティはその成り行きを自分の体の上からずっと眺めていた、と言うのです。大人になったケイティは次のように回想しています。

死んだとき、私は自分の体の上から、祖父が必死で私を蘇生させようとしている様子を見ていた。自分の体にはもう興味がなく、私は部屋を出ると、何かがいると感じた居間のほうへ向かい、その存在に近づいていった。それは明るく光り輝くまぶしいものの中にいた。トンネルではなく、そんな空間にいたのだ。

その存在は信じられないほど穏やかで、愛にあふれ、寛容で、喜びに満ちていた。私はその存在に包まれ、言葉にできぬほど幸せだった。今でもこれを書いていると、あのときの感情が甦り、また幸せな気持ちになるほど素晴らしいものだった。

私はその存在を神とは思わなかった(まだ幼すぎて、その概念が理解できなかった)が、その存在が私を作ったのだと悟った。疑いもなく、私は自分が作られた生き物であり、その存在があってこその自分だとわかった。

自分の体に戻ったときのことは覚えていない。次の日、目覚めたとき、私はふたつのことを確信した。
1. 死後の世界は存在する。
2. 私は作られた存在である。

論理的にはわからなかったが、母を質問攻めにすることでそれを表現していた。
誰が私を作ったの? 永遠って何? 神様って?
母は質問には答えられなかったが、答えられる人と話をさせてくれた


引用文献 B:
ジェフリー・ロング, ポール・ペリー著, 河村めぐみ訳(2014)『臨死体験9つの証拠』ブックマン社, pp.207-208

ケイティは大人になって当時のことを思い出しても、あれは間違いなく本物の経験だったと確信しています。そして自らの問いを追求する人生を送るようになりました。ケイティは哲学や宗教を勉強し、神学の学位をとろうとしているのだそうです。彼女にとっては幼い頃の窒息が怖かった思い出として影を落としたのではなく、大きな気付きを得るきっかけとなったというわけですね。

もう少し成長した思春期のこどもの臨死体験について見てみましょう。13歳のジェラリンはバーキットリンパ腫と診断されましたが、既にかなり進行しており、全身が病魔に蝕まれ、生存率は1%という大変厳しい状況に至っていました。その事実は彼女には告知されず、代わりに知らされた両親と年配の家族は、心の準備をするように伝えられたのでした。

そんなある夜のこと、腫瘍はついにジェラリンの腸を塞いでしまったのです。激しい胃痛と嘔吐で苦しむジェラリン。彼女は開腹手術によって、腸を1m近く切除することになりました。その術中、ジェラリンは非常に危険な状態に陥ったのでしょう。彼女は身体から浮かび上がり、手術室の上方から医師の手術の様子を眺めていたと言うのです。

手術中に私は死んだ。どのくらいかはわからないが、死の感覚はまったくなかった。
ストレッチャーに横たわっていた私は浮かび上がり、医師たちの上空にいた。そして彼らが私の腸を取り出し、慎重に体の横に置き、それから走りまわり始めるのを見ていた(私を蘇生させようとしていたと思う)。

このあいだにも私は上昇していき、突然すべてを理解したように思えた。まるで世界のすべての謎が明らかになったような感覚だった。科学も、数学も、生命の謎も!

同時に、ほかの部屋にいる人々も見えた。祖母と大叔母が手術室の外で泣いていた。ほかの手術室で手術を受けている患者たちも見えた。病院の外にいる人々も見えた。

そして私は上昇を続けた。突然、私は雲のようなものの中にいた。雲ではないのだが、明るく、白く、柔らかいものだった。愛に包まれているのを感じた。自分が安全であたたかい場所にいるのがわかった。天使のようなものが3人見えた。彼らは穏やかで、この「雲」と一体化しているように見えた。何も言わなかったが、彼らの素晴らしさは伝わってきた。私は幸せで、心穏やかで、彼らと一緒にいたいと思った。

大きな手が突然私に向かってきた。そこにあるすべてのものが言葉では表せないので、どれくらい大きいかはわからない。わかったのは、それが威嚇するような手ではないことと、まばゆく輝いていたことだけだった。そして私は、穏やかだが威厳ある響きの声を聞いた。
「帰りなさい。
 あなたにはまだやることがたくさんあるのだから」。

私は一瞬で自分の体に戻った。一瞬で!


引用文献:前掲書B, pp.255-256

ジェラリンは術後、医師たちに術中に彼女が目にしたことを詳細に話しました。医師は大変驚きましたが、その話を信じてはくれませんでした。生存率1%と言われ、手術中も心停止を起こしたジェラリンでしたが、彼女は生き続け、37年経った今、当時の証言をしたそうです。
彼女にとってやるべきこととは、一体どんなことだったのでしょう。それが何であるにせよ、なすべきことがあると知らされた時、彼女は自分の人生の時間に意味を見い出せただろうと思います。そして多感な思春期女子にとって厳しい病状の中でそうした啓示を受けたことは、生きる励みになっただろうと思うのです。

年齢に関わらず、それぞれの臨死体験の根幹にあるものは同じ。そして死に瀕した危機的な状況が、決して辛く苦しい思い出ではないことも…。

2017/11/8  長原恵子
 
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