病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
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脳死となったお子さんの魂

アメリカの遺族カウンセラー ジョージ・アンダーソンさんは、死とはすべての終わりを意味するものではなく、魂が肉体から離れた後、別の次元へ移ることだと話しています(こちらを参照)。こうした考えを耳にすると、いくつか自分の中で、改めて考え始めることがあるかもしれません。そのうちの1つが「脳死」だと思います。

日本臓器移植ネットワークによると、脳死とは「呼吸・循環機能の調節や意識の伝達など、生きていくために必要な働きを司る脳幹を含む、脳全体の機能が失われた状態です。事故や脳卒中などが原因で脳幹が機能しなくなると、回復する可能性はなく二度と元に戻りません。薬剤や人工呼吸器などによってしばらくは心臓を動かし続けることはできますが、やがて(多くは数日以内)心臓も停止してしまいます(心停止までに、長時間を要する例も報告されています)。」と記されています。

もちろん、現代医療の枠組みの中での話ですから、この脳死の定義の中には「魂」とか「霊」といった説明は出てきません。しかし「脳死判定され、脳死ドナーとなって臓器提供する場合は、その人の魂はどうなんだろうか?」と気になる方もいらっしゃることでしょう。今日はジョージさんが語った、脳死と臓器移植に関する部分を、今日はご紹介したいと思います。こちらはジョージさんの著書『WE DON'T DIE』を翻訳された糸川 洋さんが1991年3月26日、ジョージさんに行ったインタビューの一部を抜粋したものです。

―― 脳死と臓器移植の問題ですが、もし人間の魂が脳死状態でも体に宿っているとすると、臓器を取られるときに、
『やめてくれ!』と叫びたくなるんじやないかと思いますが、
どうでしょうか。

「たとえば、生命維持装置によって、かろうじて生きてはいた
けど、脳死状態から脱する可能性はまったくなかったという人
の霊が出てきたことがあります。
この霊の母親は、医者に生命維持装置を外すことを命じたん
です。でも、その行為が本当に正しかったのか、自分は息子が
意識を取り戻す可能性を断ち切ってしまったのではないか、と
ずいぶん葛藤していたんですね。

その息子さんの霊は、
生と死の境目に宙ぶらりんになった状態から解放してくれて、
次の段階へ移行させてくれてありがとう、
と母親に感謝していました。

だから、まだ使える臓器があれば、それを他人を助けるため
に移植することに、霊が反対するはずはないと思います」


引用文献:
糸川 洋(2012)『トゥルー・ミディアム』Kindle版,
第五章 ジョージとの一問一答
「脳死は、生と死の境目の宙ぶらりん」

脳死における臓器提供の意思表明をこども本人がしていない場合、親の意思によって、臓器提供をすることができますが、こんな風にお子さんが思っていたのだと知ると、心の中のもやもやが開けていくかもしれません。

また、突然お子さんが事故で脳死となり、お子さんの死後1年経って、今度はご主人まで痙攣による窒息で突然亡くなったSさんは、ジョージさんのリーディングを受けた後の心境を、次のように綴られています。

主人の突然死について、私がそばについていたのに何もできず、助けてあげることができなかった、何かできることがあったのでは、と苦しく、切なく、思い続けておりました。
それについて、主人からのメッセージは「自分でもどうすることもできなかった。誰にも何もできることはなかった。起きてしまったことに、誰の責任もないから、気にしないように」でした。私は安心しました。このメッセージを素直にありがたく受け取らせていただきました。(略)

主人が亡くなる一年ほど前に、娘が交通事故で亡くなりました。事故が起きたとき、娘は頭を打ち、その時点で脳死状態だった
そうです。
ですから、「交通事故で突然死んだけど苦しまなかった」というメッセージは本物だと信じています。

主人はリーディング中、自分の性格を「感受性が鋭く、意志が強い。周りに気を使うが、強引なところもある」と説明し、ジョージさんに向かって、「私の言うことをちゃんと聞きなさい」などと言っておりました。私は、リーディングの間、ほとんど泣いていましたが、この言葉を聞き、あちらへ行っても主人が前面に出て取り仕切っている様子がおかしくて、思わず笑ってしまいました。それを見て主人が、「お前が泣いてばかりいるのをあちらから見ていたが、今、笑っているところを見て安心した」と聞いて、本当に驚いてしまいました。

主人と娘があちらで安らかに元気にしていることや、主人が亡くなったときに、一年前に死んだ娘に迎えてもらったことを知って、安心しました。一年余りのうちに、娘と主人を亡くしましたので、今後、これ以上の悲しみや恐いものはないと、居直った気持ちでしたが、二人の霊がいつも私たちのそばにいて、見守ってくれていることを知ってたいへん心強く思います。


引用文献:前掲書, 第一章 リーディングとは何か
「ジョージはマスコミ嫌い」

交通事故で脳死となったお嬢さんは、苦しむことなく亡くなったこと。そして1年後、お父様が亡くなる時にお迎えにきてくれたこと…。それを知ったSさんは、どれほど心が休まったことでしょう。

 
脳死となった後、魂は自由になり、新たな次元で癒され、ご縁のある人の終焉にはお迎えに来てくれる…その事実を知ってほしいです。
2016/9/9  長原恵子
 
関連のあるページ(ジョージ・アンダーソン氏)
「親の怒りのエネルギーを憂う子」
「息子に届いた母の祈り」
「たとえ生まれ出ることはなかったとしても」
「僕は無事なんだから」
「時を大事に生きるならば」
「言えなかった言葉の裏」
「思いが届かないもどかしさ」
「脳死となったお子さんの魂」 ※本ページ
「この世の命は短くとも」
「祈りによって続くつながり」
「祈りが息子にもたらした平安と成長」