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出産時の悲しみを癒す勾玉
(北海道虻田郡洞爺湖町・高砂貝塚)
 
品名:
ヒスイ製勾玉
 
北海道 高砂貝塚 G4号墳墓出土 ヒスイ製勾玉
2019/6 入江・高砂貝塚館にて当方撮影
出土:
北海道虻田郡洞爺湖町 高砂貝塚(G8号墳墓)
時代:
縄文時代晩期
展示会場:
入江・高砂貝塚館(北海道虻田郡洞爺湖町)
 

昭和38(1963)年、北海道虻田郡洞爺湖町の高砂貝塚で札幌医科大学解剖学第二講座が行った第一次発掘調査により、成人女性の土坑墓が見つかりました。G4号墳墓と名付けられた土坑墓は縦110cm、横70cm、深さ40cmで、南南西に頭を向け、左倒臥屈葬された成人女性の人骨が埋葬されていました。出土した右大腿骨の最大長から身長は148.9cmと推定されました。

 

G4号墳墓の発掘作業中、豪雨が降ってきて、発掘の継続は困難となってしまいました。そこで女性人骨の足骨の部分は覆土と共にブロック状にとりあげられ、調べられることになったのです。そこからとても大切なものが見つかりました。赤ちゃんのお骨です。女性の骨盤の尾方、それは図1で斜線になっている部分で、骨盤と大腿骨の付け根と足首のあたりに囲まれるような位置にあたる覆土中から、発見されました。縄文時代、胎児や乳児が亡くなると直接土葬するのではなく、土器の中に納められてから土中へ埋葬される例が各地で見つかっていますが、G4号墳墓では女性と赤ちゃんが同じお墓の土の中に埋葬されていたのでした。

赤ちゃんの骨は頭蓋冠の破片、左側頭骨、左肩甲骨、左腸骨、左大腿骨だと同定されました。左大腿骨骨幹部は最大長72.8mmあり、身長は508.3 ± 5.2mm と推定されたことから、在胎40週に達していた(※1)と考えられています。写真1は報告書に掲載されていた赤ちゃんの骨の写真ですが、出産直後に亡くなった(あるいは死産だった)赤ちゃんの骨が、こんなにもしっかり残っていたことは本当に驚きと感動でいっぱいです。この赤ちゃんと同一墓に埋葬されていた女性との親子関係を示す医学的な調査結果は報告書内に記されていなかったものの、埋葬されていた2人の位置を見ると、この女性が出産したことが強く考えられます。この女性の骨盤の計測推定値はほぼ正常値で狭骨盤を思わせる所見は見られず(※2)、骨盤の大きさが理由の難産で母子の命が危険にさらされた、という状況は考えにくいでしょう。
赤ちゃんは女性の臀部と下肢に囲まれるように見つかっており、まさに出産したばかりといった光景が想像されますが、この場所で出産が行われ、亡くなってしまった2人をそのまま埋葬したわけではなさそうです。G4号墳墓が見つかった場所から半径2mの場所に4基の墳墓が見つかっています。ここは当時墓地として使われていた場所であることから、別の場所で出産後、亡くなった2人をここへ運び、埋葬したのでしょう。それもへその緒が付いたままだったことが考えられます。

へその緒は個人差もありますが、平均55cmほどあるものです。お産の直後、へその緒が付いたままであっても、母親がその胸に抱っこすることは可能です。しかしこの赤ちゃんは抱っこが難しいほどへその緒が極端に短かかったとも推察されます。あえてへその緒を切らないまま寄り添うように埋葬されたのは、亡くなった母子の絆が永遠に続きますように、という願いが込められていたのかもしれませんね。
子宮の中でしっかり育ち、いよいよ時が充ちて赤ちゃんは生まれたけれども、残念ながら母児共に亡くなってしまったのはなぜでしょうか? 報告書では分娩中に痙攣発作が起きた分娩子癇(しかん)、胎盤早期剥離、前置胎盤、胎児の位置異常(特に横位)、分娩中の産道損傷(特に子宮破裂)等(※3)が挙げられていました。

■ベンガラ
高砂貝塚から出土した28基の墳墓すべてからベンガラ散布が見つかっていますが、その中でも特にG4号墳墓の散布量は群を抜くものでした。報告書には「人体はベン力ラで埋もれたといっても過言ではない」(※4)と表現されるほど多量で、しかも非常に丁寧な方法がとられていました。小砂利が敷き詰められたG4号の壙底の上にベンガラが散布され、そこに女性が横たえられ、副葬品が供えられました。そして人体がやや隠れる程度土をかけ、顔面・頭部、左上半身、右上半身の3箇所に再度ベンガラが多量散布され、土で覆われたのです。出土した女性人骨の左側頭部、下顎骨内面、右頬骨、左右鎖骨、左右肩甲骨、左右上腕骨及び前腕骨、椎骨にベンガラの付着が認められました。こうしたベンガラの使い方から、人々がベンガラの持つ力にとても強い期待を寄せていたことがわかります。報告書で峰山 巌先生は「人骨がベンガラで埋もれていたG4号墳墓は、再生する生命には霊力の衰えをみせぬ血の霊魂が宿り、この世で果たせなかった出産に耐えうる活力を具えることの願望を、呪術的儀礼に託した証ではあるまいか。」(※5)と考察されていました。その儀礼は死者のためだけでなく、遺された家族にとって大きな役割を持っていただろうと思います。亡くなった女性と赤ちゃんに伝えたかった思いをベンガラが届けてくれるのですから……。

高砂貝塚でG4号の他にG15号墳墓から大量のベンガラが見つかっています。頭骨、肋骨、椎骨、四肢骨なども見つかり、13-15歳(※6)のこどもが埋葬されていたと判明しましたが、墓域内の土壌は赤色に染まるほど多量のベンガラが散布されていました(※7)。G15号墳墓では墓壙の北東にあたる壙口外から、並んで置かれた土器3点が発見されました。両端の土器には濃黒色の微粒の土壌、そして中央の小形の鉢にはベンガラが満たされていたのでした。これらの土器は入江・高砂貝塚館に展示されていました。鉢の中のベンガラを見ると、G4号墳墓の母子埋葬時にもこんな風にベンガラを用意し、散布しながら墳墓の周りで人々が別れを惜しんだのだろうかと想像します。

■ヒスイの勾玉
G4号墳墓の女性人骨の腹部からヒスイの勾玉1個見つかりました。ネックレスとして身に着けて埋葬されたのであれば、首や胸のあたりから見つかることが妥当ですが、この女性の場合は腹部から見つかっています。ページ冒頭の写真がその勾玉です。図1を見るとわかるように、股関節と膝関節を強く曲げた下肢の大腿骨の上方の腹部は、ちょうど赤ちゃんが育っていた子宮の位置となります。出産、死の瞬間まで確かに命を宿していた母体の子宮を癒すため、ヒスイの勾玉をここに置いて埋葬したのでしょうか?当時に思いを馳せてみると、ヒスイに妊婦と胎児を守る力を託し、腹部までかかるほど長い紐に通し、妊娠中お守りのように勾玉を身に着け、そのまま埋葬されたのかもしれませんね。
勾玉は長さ26mm、幅13mm、厚さ10mmで、孔径5.5mmの穴があけられていました。美しい緑色は今も健在です。勾玉の側面はまるで波打っているかのように丁寧に加工されています。勾玉は胎児をデザインしたものだと解釈する説もありますが、真相は知る由もありません。入江・高砂貝塚館訪問時、この勾玉はずっしりとそして美しくその存在感を放っていました。

高砂貝塚からは他に1例、ヒスイ製の加工品が見つかっている墳墓があります。それはG4号墳墓から8mほど西に位置するG12号墳墓です。縦72cm、横56cm、深さ15cmの土坑墓に埋葬されていた全身骨格は8歳前後(※8)のこどもと判明し、胸部からヒスイの管玉1個が出土しました。緑翠色で縦16mm、横14mmの管玉には7mm大の穴が開けられ、正面には「入」字状の陰刻がされていました。
ヒスイ製の勾玉、管玉が高砂貝塚で加工されたものであるのか、あるいは他の地域との交流を通して得られたものか不明ですが、当時の人々のヒスイ加工技術が非常に高いものであることが伝わってきます。
G4号とG12号、それぞれ勾玉と管玉の違い、出土部位の違いはありますが、死者の副葬品として大事な意味を持っていたことがわかります。
 

この他G4号墳墓から副葬品として鹿角製垂飾品、黒曜石製石匙(いしさじ)、破截土器片が出土しました。 

■鹿角製垂飾器
女性人骨の頭部の右側に鹿角製垂飾品が2個置かれていました。出土時、表面の磨滅が甚だしく,ベンガラ中にあったので朱色に染まっていた(※9)そうです。入江・高砂貝塚館の展示では全体的に白っぽいところに茶褐色の部分がありましたが、これがベンガラによる着色でしょうか?

■石匙
女性人骨の骨盤のそばに1個置かれていました。石匙はつまみ付きナイフとも称されます。図1の中ではスクレーパーと書かれています。展示ケースの中で今も輝きを放っていました。赤ちゃんと母体を邪悪なものから切れ味鋭く守ってくれるように思えます。こちらは黒曜石製で縦4.2cm、横2.4m、厚さ1cmありました。

■一括破截(はせつ)土器
女性人骨の足骨の端部に土器片が13個まとめて置かれていました。 これらは破損のないきれいな土器が長い年月を経て壊れてしまったものではありません。明らかに埋葬時点で壊されていた土器片が、まとめて埋納されたものです。しかもそれらは1つの土器を壊していくつかの土器片にしたものではない(※10)ことがわかっています。こうした葬り方について報告書で前出の峰山先生は「副葬および献供土器とともに,鎮魂その他の呪術的行為から発した、高砂縄文人の葬制の1つではあるまいか。」(※11)と記されていました。鎮魂、呪術的行為と考えた場合、複数の土器を壊して、その一部をまとめる行為にどのような力や働きが見出されていたのでしょうか?死者に所縁のある人々が愛用の土器を壊し、その一部を集めてまとめて足元に置いたのかもしれませんね。自分の分身として埋納する土器片が、ボディーガードのようにこの女性と赤ちゃんを守りますようにと願いを込めて……。

この他に壊した土器に力を見出したことが推測される例として、高砂貝塚G27号墳墓を挙げたいと思います。G27号墳墓からはベンガラが散布された鎖骨、上腕骨体、寛骨片、大腿骨、脛骨、腓骨骨体が見つかり、大腿骨の大きさから3-4歳(※12)のこどもが埋葬されていたとわかりました。この墳墓から7点の土器片がまとまって見つかりましたが、その他に1個、半分に割られた土器が足部の両側に添えられていたのです。このこどもの足元を守りたい親心ですね。きっと。

残念ながら共に命を落し、G4号墳墓に埋葬された女性と赤ちゃん、その夫であり、父である男性はどれほど大きな悲しみと苦しみを味わったことでしょう。せめて妻と我が子があの世で元気を取り戻し、身の危険を感じることなく、一緒に楽しく過ごせますように……そのような願いをこめながら、お墓を掘り、ベンガラ、副葬品を用意し、丁寧に埋葬したのだと思います。G4号墳墓の発掘時に降った豪雨は男性の心を表す涙雨だったかもしれませんね。

 
<引用文献・資料, 参考ウェブサイト>
※1 三橋公平ほか(1987)『高砂貝塚 噴火湾沿岸貝塚遺跡調査報告2三橋公平教授退職記念号 』札幌医科大学解剖学第二講座, p.112
※2 前掲書1, p.155
※3 前掲書1, p.155
※4 前掲書1, p.19
※5 前掲書1, p.44
※6 前掲書1, p.121
※7 前掲書1, p.20
※8 前掲書1, p.118
※9 前掲書1, p.28
※10 前掲書1, pp.44-45
※11 前掲書1, p.45
※12 前掲書1, p.126
 
<図>
図1 G4号墳墓, 前掲書1, p.20より引用
図2 G12号墳墓 ヒスイ製管玉, 前掲書1, p.29より引用
 
<写真>
写真1 写真1:G4号墳墓 胎児の骨, 前掲書1, PL LVより引用
写真2 G15号墳墓 出土土器
写真3 G15号墳墓 ベンガラ入りの土器
写真4 G4号墳墓 鹿角製垂飾品
写真5 G4号墳墓 石匙(つまみ付きナイフ)
 
写真1〜5  2019/6 入江・高砂貝塚館にて当方撮影
 
 
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2019/9/21  長原恵子