病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
大切なお子さんに先立たれたご家族のために…
 
ご案内
Lana-Peaceとは?
プロフィール連絡先
ヒーリング・カウンセリングワーク
エッセイ集
サイト更新情報
日々徒然(ブログへ)
 
エッセイ集
悲しみで心の中が
ふさがった時
お子さんを亡くした
古今東西の人々
魂・霊と死後の生
〜様々な思想〜
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
 
人間の生きる力を
引き出す暮らし
自分で作ろう!
元気な生活
充電できる 癒しの
場所
魂・霊と死後の生〜様々な思想〜

刹那の中に幸せを見出す力

こちらでご紹介したモーリス・メーテルリンクの『青い鳥』ですが、チルチルとミチル兄妹は、青い鳥を探して「未来の国」にも出かけます。そこはこれから生まれようと、待つこどもたちのいるところ。その記述を読み進めていくと、こどもたちが語る「胎内記憶」と似通った部分が出てきます。もしかしたらメーテルリンクも、少年期の臨死体験を契機に、あるいはその前から、そうした世界を垣間見てきたのではないか…と思わず考えてしまいます。

メーテルリンクの描写する「未来の国」はまるで浄土三部経で語られる浄土の世界のように、美しい宝石で彩られています。丸天井はトルコ石、円柱はサファイア、敷石はラピスラズリ。すべてのものが青い世界で、唯一円柱の柱頭と台石、丸天井の要石、そしていくつかの椅子が白い大理石か雪花石膏でできているのです。
どの広間にも、空色の長い着物のこどもたちがたくさん楽しく過ごしています。そして背が高く、青白く半透明な着物を着た守護天使がこどもたちのお世話をしています。

その空間の右手には、夜明けの波止場へと続くオパール色の扉が柱の間にいくつかあります。この扉は「時のおじいさん」が開けるまでずっと閉まったまま。時のおじいさんが扉を開けると、生まれる順番を迎えたこどもたちが、地球を目指してやってくるのです。夜明けのバラ色のもやに包まれた波止場から、白と金の帆を掲げた船に乗って…。

その世界では、こどもたちがこの世に生まれ来る時、何か一つお土産を持っていかなければいけない、と決められているのだそうです。そのお土産はいろいろで、人々を幸せにするものや、楽しい奇想天外な発明もあります。中には壮大な宇宙規模の話もあります。
しかし、決して楽しい夢のような話ばかりだけではありません。たとえば生まれる前から「病気になることがわかっている」子もいるように…。

チルチル あの赤毛の子、目が見えないみたいに歩いてるけど、目が悪いの?
子ども いまはまだ悪くない。でもあとで悪くなるんだ。
あの子をよく見てごらん。
死ぬことをなくそう、って考えてるらしい。
チルチル それ、どういう意味?
子ども ぼくもはっきりとはわからない。
でもたいへんなことなんだってさ。


引用文献:
メーテルリンク著, 末松氷海子訳(2004)『青い鳥』岩波書店, p.202

チルチルとミチルが説明を受けていると、広間の奥から、一人の男の子が「チルチル、こんにちは!」と駆け寄ってきました。

チルチル あれっ! どうしてぼくの名前、知ってるの?
その子 (走りよって、感激のあまり、チルチル、ミチルにキスをする)
こんにちは!元気かい?
ねえ、ぼくにキスして!ミチルもね。
ぼくがきみたちの名前を知ってたってふしぎじゃないよ。だって、ぼく、きみたちの弟になるんだもん。
たったいま、きみたちが、来るって聞いたから……
ぼく、広間のずっと奥にいて、夢中になって考えてるところだった。
ぼくはもう準備ができてるって、母さんに言ってね。
チルチル なんだって?ぼくたちのところへくるつもりかい?
その子 そうだよ。
来年の「枝の主日」(復活祭直前の日曜日)にね。
ぼくが小さいうちは、あんまりいじめないでね。
今から二人にキスできて、とってもうれしいよ。
父さんに、こわれたゆりかご直しておいて、って
言ってよ。
ぼくたちのうちっていいとこ?
チルチル まあ、悪くはないな。
母さんは、とってもいい人だし……


引用文献:前掲書, p.203

チルチルとミチルの弟は三人、妹は四人みんな亡くなっていましたから、その男の子が生まれたら、八人目のきょうだいということですね。

彼は生まれ来るために、どんなお土産を選んでいたのでしょう。

チルチル その袋の中になにが入ってるの?
ぼくたちに、なんか持ってきてくれるの?
その子 (とても得意そうに)三つの病気を持っていくんだ。
しょうこう熱と、百日ぜきと、はしかと……
チルチル えーっ!三つも!
じゃ、その後は何をするの?
その子 そのあと?死んでしまうのさ。
チルチル それじゃ、生まれたって、なんにもならないじゃないか。
その子 そう決まってるんだもの。しかたないよ。


引用文献:前掲書, pp.203-204

現代では猩紅(しょうこう)熱や百日咳に効く抗生物質が開発されていますし、百日咳は日本では赤ちゃんの時に、四種混合と呼ばれるワクチンを接種することによって、予防することができます。麻疹(はしか)は2016年現在、まだ根本的な治療薬はありませんが、予防接種があります。
そしてありがたいことに、日本で生まれた赤ちゃんは百日咳や麻疹の予防接種を、公費負担(無料)で受けることができるのです。
そうした予防策や治療が整い、栄養事情も良くなり、生活環境、衛生状態も良い世の中ですから、死に至るような病いではありません。しかし『青い鳥』が書かれた約100年前の時代には、抗生物質も予防接種もなく、ましてや現代よりも厳しい暮らしだったのですから、これらの病気はとても恐ろしい病気でした。チルチルが「えー!」と絶句したのは、そうした背景があったのです。

病気になることも、そして、その病気が原因で長くは生きられないことも、生まれる前から全部承知済みで、それをお土産として携えて生まれてくる…。たとえ短い命であっても、それでもこの世に生まれ出ようとしている意味は何であるのか?
そこまでして、こどもたちが求め得ようとしているものって、何なのでしょう?

それはきっと、自分を大切に思われ、慈しんで育まれ、愛情いっぱいで包まれて過ごす時間ではないかな…?

そして病気のこどもたちは、病気になることを承知済みで、それでもなお、その人生を自分のものとして選んで生まれてくる、心の強さを持っているのだと、思わずにはいらせません。
刹那の中にとても大きな価値と幸せを見出す、素晴らしい力を持っているのだと思うのです。

 

短命でこの世を去ったとしても、家族から愛されたかけがえのない時間を、お子さんは存分にしっかりと感じ取っています。きっと。

2016/6/9  長原恵子
 
関連のあるページ(モーリス・メーテルリンク氏)
「刹那の中に幸せを見出す力」 ※本ページ
「亡くなった人に吹くあたたかいそよ風」
「水の中で光と共に」