病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
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死者を守り、癒す人形の世界〜ソウル 「コクトゥと韓屋」

2015年にソウル 仁寺洞にある木人(モギン)博物館のお話を取り上げました。木人とは韓国でかつて人が亡くなった時、埋葬地まで棺を運ぶ時に使われたサンヨ(棺を担ぐための輿)の装飾に用いられた木の人形のことです。木の人形、と言えば日本ではこけしを想像しますが、これらの木の人形は直立不動ではなく、様々な手足の動きを伴ったり、動物の上に乗っていたり、表情豊かでこけしとは一味違ったものです。
その後2018年7月、訪韓時にソウル 北村韓屋村のコクトゥの展示館を訪れる機会を得ました。この人形のことを木人博物館では「モギン」と呼んでいましたが、北村の方では「コクトゥ」。呼び名は異なりますが、どちらも同じものを指しています。インターネットで検索してみると、日本語のページでは「コットゥ」と表記しているものが多く見受けられますが、現地展示室内の日本語解説はすべて「コクトゥ」と表記されていたので、ここでは「コクトゥ」と表記していきます。

なお、この北村韓屋村の展示室にたどり着くまでには紆余曲折がありました。以前調べた時、博物館はソウルの地下鉄4号線恵化駅近く、東崇洞にあったので、近くの「コルトンミョン」であっさりしたおいしいランチを食べて、いざ、出陣!と向かったのですが、実際訪問してみると博物館の入っていた東崇アートセンターはセンター自体が閉鎖。途方に暮れていた時、韓国語のできる妹がすかさず敷地内を歩いていた人に声をかけ、博物館はどうなったのかを尋ねてくれました。すると北村韓屋村の一角に移転していたと判明。感謝感謝。冷や汗が出る、とはまさにこのことでした。
ようやくたどり着いた北村韓屋村。いよいよ、入館!と思って門をくぐろうとすると、お昼の時間にもかかわらず、何やらスタッフが閉門支度の様子。慌てて尋ねると、スタッフの休憩時間中はビジターの入館を断っているとのこと。「折角このために日本から来たので、ぜひお願いします…」と拝み倒して、ようやく入れてもらいました。あんなに慌ただしく見学、撮影したのは過去にないほど。それも今となっては良い思い出です。

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こちら最寄駅はソウル地下鉄3号線安国駅で、2番出口が1番近くです。
安国駅から真っすぐ北上して、鍾路02番マウルバスのバス停「北村韓屋マウル・ドンミ薬局」のそばの左側にある細い道を奥へと入っていきます。バス停そばの角には薬局があり、緑色の看板がかかっています。
このあたりから韓服を着て韓屋村を散策して記念写真を撮る観光客が道に溢れているので、すぐわかると思います。

そこから地図のように進んでいくと、上り坂の右手に展示館が見えてきます。こちらは韓屋内の続きの3室ほどを展示・物販スペースに利用したもので、博物館、と言うよりは展示室、と言った感じです。看板表記も韓国語で「コクトゥと韓屋」という名前でした。

韓屋村は非常によく似た伝統家屋が密集しているので迷子になりそうですが、建物入口にはそれぞれ番地が青地に白字で表記されているので、この番号「48」を目指していくと心強いです。

こちらが展示館の入口です。他の韓屋と違うのは、玄関先にコクトゥが飾られていることです。

 

小規模の韓屋を利用した展示館なのでこじんまりとしていますが、コクトゥと伝統建築・装飾の融合が美しく、落ち着く空間が広がっています。

ここからは展示室内のパネルに書かれていた説明を元に綴っていきます。室内には一部日本語の解説がありましたが、それ以外すべてが韓国語と英語の説明だけなので、英語版の解説をリファレンスとして利用し、そこから考察を交えながら進めていこうと思います。

韓国では「死」とは住み慣れた場所から離れ、生の世界に愛する者を残し、別れの悲しみを背負って見知らぬ新しい世界へ旅立つことだと考えられました。そこで死者が深い悲しみを乗り越えられるように慰め、励まし、新しい世界へ安全に導いてくれるお供のような存在が必要だったのです。それがコクトゥでした。西洋の天使と同じと考えられています。コクトゥは棺を運ぶための輿であるサンヨ(Sangyeo:この展示室では棺輿と日本語表記されていましたが、木人博物館では喪輿と表記されていました)に飾られていました。下の図のうち、黄色い部分がサンヨに差し込まれたコクトゥです。

図2:コクトゥとサンヨ

展示会場の英語解説板によると文献上、サンヨの存在を確認できるのは李氏朝鮮(1392-1910)時代です。右の写真は館内パネルを撮影したものですが、現存する最古のサンヨとなります。これは李氏朝鮮の第18代国王顕宗が亡くなった義父(王妃 明聖王后の父、金佑明氏・領議政 C風府院君 忠翼公、1619-1675年)のために用意したものだそうです。現在そのサンヨ「清風府院君喪輿」は大韓民国指定重要民俗文化財第120号に指定され、韓国の国立春川博物館に展示されているそうです。

コクトゥは海外新聞でも取り上げられており、3社の記事が展示会場内に掲示されていました。その中でニューヨーク タイムスの記事に印象的な箇所がありました。

それによるとアメリカでもコクトゥと似たような木彫りの人形があるそうです。それはネイティブメリカンのホピ族の作っていたKachina dolls(カチーナ人形)です。スピリチュアルな世界観を表現したものですが、コクトゥと根本的に異なるのはその目的です。Kachina dollsはこどもたちに精霊や先祖について教えるために作られたものであり、コットゥのように死者のお供として作られたものではないのだそうです。

コクトゥの役割は大きく分けて四つあります。護衛係、お世話係、ガイド係、エンターテイメント係です。一つずつ見ていきましょう。

1)護衛係
亡くなった人が生者の世界から死者の世界へと移動するまでの間、何か良くない精霊や邪悪なエネルギーにとらわれてはいけません。その道中、死者が困らないようにと、様々な恐怖から守る役割が託されました。そのためこれらのコクトゥは表情が険しく、強い感じで、武器を持っています。

2)お世話係
死者がとにかく静かに落ち着けるように接する、という理由から、女性のコクトゥを作られることが多かったそうです。これらのコクトゥは死者の手をしっかり握ったり、抱きしめたり、その語りを聴く役割がありました。それってとても大事なことですね。

3)ガイド係
これから移行する世界にたどり着くまで、死者の魂が道に迷うかもしれません。そして思わぬ出来事が起こってしまうこともあるかもしれません。そうならないように、死者の旅路が安全なものであるようガイドする任務を果たしたのがこのコクトゥです。動物などの乗り物に乗った形で作られました。

こちらのコクトゥは死者を導くコクトゥですが、白馬に乗っている女性は馬の手綱を握ることなく、両手で合掌しています。馬の目の表情も何だかとってもお茶目で笑っているようです。でも、背中に乗る人が合掌できるくらい聞き分けの良い馬ってことですね。

 

4)エンターテイメント係
死者が孤独から解放され、楽しい気分になれるように、歌や踊り、そしてびっくりするようなアクロバットもできるコクトゥが作られました。

サンヨを飾るものはコクトゥの他にもいろいろありました。こちらはサンヨを飾る大型の鳳凰と思われます。

■龍頭板(dragon-head-plank)
木人博物館ではYongsoopan・龍首板と呼ばれていたものですが、こちらの展示館では英語でdragon-head plankと記されていました。日本語名は展示物に添えられていなかったのでわかりませんが、英語の名前を直訳すると「龍の頭の厚い板」という意味になります。

ここでは龍頭板として表記しておきます。龍頭板はサンヨの前と後ろに取り付けられた装飾板です。

なぜサンヨの前後を龍で飾るのか……?そこには龍に託された深い意味がありました。水は雨となって地球に潤いをもたらし、その恩恵を受けた地球から生命が生み出され、その命は育まれていきます。やがて水は川になって海へと注ぎ、蒸発し、空では雲になり、そして再び地球に戻ります。こうした水の流れが龍に似ていると考えられたのだそうです。龍は海の中を潜り、天に向かって昇り、そして水と共に生きる地球の生命体を祝福するのだと。青い龍と黄色い龍はそうした偉大な水の力や地球をシンボル化したものなのだそうです。
龍頭板にはいろいろな種類があり、龍自体の顔を表現したり、小鬼の顔を表現したり、あるいは一頭の龍全体を表したり、青と黄色の龍をペアで表す等、様々な表現パターンがあります。いずれにしても、龍は死者を邪悪な力から守るために用いられました。そして死後の世界への旅路、それは循環する人生の一部であることを意味するのだそうです。

こちらは展示室内の廊下の天井に吊るされていた鳳凰です。

下から見ると鳳凰のお腹の部分に穴があります。ここに棒を差し込み、サンヨの周りを囲むように飾られたのだろうと思います。鳳凰に守り、導かれながら旅路を進む姿は、遺された人々にとっても安心をもたらすものですね。

こうして龍や鳳凰、様々なコクトゥたちによって大切に死後の世界へと導かれた死者は埋葬された後、人々の願いの通りきっと安らかな死への移行ができたと思うのです。

死後の世界があると考えた時「無事にあちらにたどり着きますように」「どうか安らかに楽しく、いつまでも幸せでいてほしい」そうした思いを形に表すことは、遺された人にとっても大きな意味を持っていたと思います。

【図・写真】
<図>
図1:アクセス(当方作成)
図2:コクトゥとコクトゥ
図3:龍頭板とサンヨ
図2-3, 2018/7 現地解説板, 当方撮影
<写真>
写真1:右・左 入口のコクトゥ
写真2:上/中段右・左 敷地内の外壁 下段左 展示室
写真3:清風府院君喪輿
写真4:The New York Times "Korea’s Extraordinary Send-Offs for Ordinary People" By MARTHA SCHWENDENER 17/Aug/2007
写真5:死者を守るコクトゥ
写真6:上段・中段・下段 死者をお世話するコクトゥ
写真7:上段・下段 死者を導くコクトゥ
写真8:死者を導くコクトゥ
写真9:上段・中段・下段 楽しい時間を演出するコクトゥ
写真10:サンヨの装飾
写真11:龍頭板 解説板
写真12:上段・中段・下段 龍頭板
写真13:右・左上下段 鳳凰の飾り
写真1-2, 5-10, 12-13, 2018/7 現地, 当方撮影
写真3- 4, 11, 2018/7 現地解説板, 当方撮影
 
関連のあるページ(韓国の葬送文化)
「木と色と形に込められた思い〜 ソウル 木人博物館」
「死者を守り、癒す人形の世界〜ソウル コクトゥと韓屋」※本ページ
 
2018/10/16  長原恵子