病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
大切なお子さんに先立たれたご家族のために…
 
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亡くなった人に届くあたたかいそよ風

幼い兄妹のチルチルとミチルが、青い鳥を探しに行く旅物語『青い鳥』の中には、彼らが巡る旅路の最初に「思い出の国」が登場します。「思い出の国」の様子やそのやりとりは、お子さんに先立たれた親御さんの心の琴線に、きっと触れるものがあるだろうと感じました。戯曲の第二幕第三場としての設定に過ぎない、と言えばそれまでですが、なぜか創作以上の何かを感じてしまうのは、作者のモーリス・メーテルリンクが少年期に臨死体験をしていることと関係があるからように、私は思います。驚くほどの光の中で、メーテルリンクが学んだことは、きっとここに反映されているだろう…そんな風に思いますので、今日は取り上げることにいたします。

魔法使いのおばあさんから、病気の女の子のために青い鳥を探すよう頼まれたチルチルとミチルは、旅の始まりに緑の帽子をもらいました。その帽子には不思議な力を持つダイヤモンドが付いていました。ダイヤモンドを右から左にまわすと、私たちが気付いていない人間の頭のこぶが押され、いろいろなものが見えるようになるという優れものです。たとえば普段は見えていないけれども、実はこの世界のあらゆるものに宿っている妖精たちの姿を見ることができる、というものです。そしてそのダイヤモンドをもう少し回すと今度は過去が見え、更に回すと未来も見えてくるのです。

チルチルとミチルは青い鳥探しの最初に「思い出の国」を訪れました。ここは亡くなった方々が住んでいるところ。まるで生前と同じように、森の中に一軒の家がありました。壁にはツタが這い、軒下にはミツバチが巣を作っており、窓には植木鉢が並び、鳥籠にはツグミが眠っているおうち。そして戸口のそばでは、チルチルとミチルのおじいちゃん、おばあちゃんがベンチで仲良く、ぐっすりと眠っていました。二人はやがて、目を覚まし、孫のことを話し始めたのです。

祖  母 きょうあたり、生きてる孫たちが会いにきてくれるような気がします。
祖  父 そうとも。孫たちはわしらのことを考えてるよ。
そんな気がしてならないよ。
足がしびれて、ちくちくするからな。
祖  母 あの子たち、もうすぐそばまで来てるんじゃないかしら。だってわたしの目には、うれし涙がいっぱいですもの。


引用文献:
メーテルリンク著, 末松氷海子訳(2004)『青い鳥』岩波書店, p.61

初め、チルチルとミチルは「思い出の国」の入口にある大きな樫の木の後ろに隠れて様子をうかがっていましたが、間違いなく大好きなおじいちゃん、おばあちゃんだとわかり、飛び出しました。
思いがけない再会に、一同大喜びです。

祖  母 (略)どうして、もっとちょいちょいわたしたちに会いにきてくれないの? おまえたちがわたしたちを忘れてから、もうずいぶん月日がたった。
あれっきり、わたしたちはだれにも会ってない。
チルチル ぼくたち、こられなかったんだよ。おばあちゃん。
きょうは、魔法使いのおばあさんのおかげでね……
祖  母 わたしたちはいつもここにいて、生きてる人がちょっと寄ってくれるのを待ってるんだよ。めったに来てくれないけどね。
おまえたちが最近きてくれたのは、えーと、いつだったっけ。そう、万聖節(キリスト教の諸聖人を記念する日。11月1日)だった。教会の鐘が鳴ったとき……
チルチル 万聖節に? ぼくたち、あの日は外へ出なかったよ。
ひどい風邪にかかってたから……
祖  母 そうかい。でも、わたしたちのことを考えただろう?
チルチル うん。
祖  母 それごらん。
おまえたちがわたしたちのことを考えるたびに、わたしたちは目がさめて、また会えるんだよ。
チルチル なんだって!それだけでいいの?
祖  母  そうだよ。よく知ってるはずだろ。
チルチル ううん、ぜんぜん知らなかった。
祖  母 (祖父に)おどろきましたね。世のなかの人はまだなにも知らないし、ぜんぜん勉強もしてないんですね。
祖  父 わしたちの時代と同じさ。生きてるものは、あの世のこととなると、まったくわからないんだ。


引用文献:前掲書, pp.63-64

生きている人の思いが亡くなった人にしっかりと届いているって、なんて素敵なことでしょう。何か儀式をしたり、お金を払ったり、特別なものを用意しなくても、ただ心の中でひっそりと思うだけで、亡くなった人へ思いを瞬時に届けられるなんて…。

チルチル おじいちゃんたち、ずっと眠ってるの?
祖  父 そうだ。よく寝ているよ。生きてるものが、わしらのことを考えて、起こしてくれるのを待っているのさ。ああ、一生が終わってから眠っているのは、とてもいいものだよ。でも、ときどき目をさますのも、やっぱり楽しいね。
チルチル じゃ、おじいちゃんたち、ほんとに死んでるんじゃないの?
祖  父 (おどろいて)おまえ、なんて言ったのかい?
なんだって?
もうわしらにはわからない言葉を使ってる。
それは新語かね? 新発明かね?
チルチル 「死ぬ」っていうこと?
祖  父 そうだ。その言葉だよ。どういう意味かい?
チルチル 人がもう生きてないってことじゃないか。
祖  父 世の中の人はおろかなんだなあ。
チルチル ここはいいとこ?
祖  父 もちろん、悪くない。悪くないさ。でも、みんながもっとお祈りをすれば……
チルチル 父さんは、もうお祈りなんてするなって言った。
祖  父 とんでもない!そりゃあ、いかん。祈ることは思い出すことだ。
祖  母 そうだよ。そうだよ。おまえたちがもっと度々きてくれれば、みんなうまくいくんだけどねえ。


引用文献:前掲書, pp.64-65

この世に遺された側の人たちは、先立った人たちを思い出す時、「もう会えない…」「もう話すこともできない…」と寂しさや虚しさが募っていくばかり。でもそれは「死」によってすべてが終わった、この世から跡形もなく消え去り、どうする手立てもない…と感じてしまうからだろうと思います。そして、確かに私たちの思いと亡くなった人々との思いは交錯しているけれど、それが私たちの記憶に残る形ではないからこそ、そうした再会を信じられないのかもしれません。祖父母の天国の家の扉には、万聖節の時に遊びに来たチルチルとミチルの身長にあわせて、しるしがつけられていました。その時からチルチルは、指四本分も、そしてミチルは指四本半分も背が高くなっていたのです。私たちが覚えていないだけで、実はあちらの世界には、しっかりと証拠が残っているかもしれませんね。

チルチルとミチルは、亡くなった弟三人と妹四人のことも、おじいさん、おばあさんに尋ねてみました。みんな小さい頃に逝ってしまったこどもたちです。するとおばあさんが「だれかがあの子たちのことを考えたり、話したりすると、すぐ出てくるんだよ。」と言った通り、七人のこどもたちが順に並んで、家から出てきました。
弟のピエロ、ロベール、ジャン、妹のマドレーヌ、ピエレット、ポーリンヌ、リケット。みんなチルチルとミチルに駆け寄り、抱き合ったり、踊ったり、跳ねたり、大声を出したり、大騒ぎです。一番下のリケットはハイハイしていました。ポーリンヌのはさみでしっぽを切られた犬のキキも周りで吠えています。

チルチルはとっても嬉しくなりました。

チルチル ああ、みんないい顔色をしてるね。まるまる太って、つやつやしてる!
なんてきれいなほっぺたなんだろう!
おいしいものを食べてるらしいね。
祖  母 みんな生きるのをやめてから、ずっと元気になったんだよ。ここではこわいことはなにもないし、けっして病気にはならないし、心配ごともないんだもの。

引用文献:前掲書, p.71

死後の世界、元気に幸せに過ごせているって、知ることはどれ程嬉しいことでしょう!苦しみも心配事も、何もかも無縁であること…それは生前、病気で長患いしていたこどもたちの親御さんにとって、一番知りたいことかもしれませんね。
チルチルとミチルは、みんなと一緒におばあさんの手作りのキャベツのスープとプルーンパイをごちそうになったところで、さよならしました。
なぜなら、チルチルとミチルがこの国にいられるのは午後8時45分までだったからです。約束の時間を過ぎてしまうと、何もかもがだめになってしまうのですから…。

祖  母 毎日きておくれ!
チルチル わかった。できるだけちょいちょい、くるからね。
祖  母 それだけが楽しみなんだよ。おまえたちがわたしたちを思い出してくれると、とてもにぎやかなお祭りになるのさ。

引用文献:前掲書, p.75

生きている人が亡くなった人を思い出すことは、亡くなった人にとって、まるでお祭りのように楽しい時間をもたらすのだと思うと、思い出すことにますます意味が出てきますね。誰かの役に立つって、とっても嬉しいことですものね。
もちろん、思い出によって自分が励まされたり、力をもらったりすることも、ありがたいことではあるけれども…。

そう言えば、チルチルとミチルが思い出の国に入る前に、魔法使いのおばあさんと、こんなやりとりがありました。

チルチル おじいちゃんたち、ここにいるの?
魔法使い  もうすぐ会えるよ。
チルチル でも、おじいちゃんたち死んでるのに、どうやって会えるの?
魔法使い  死んでなんかいないよ。おまえたちの思い出の中に、ちゃんと生きてるじゃないか。人間たちはこの秘密を知らないんだ。なんにも知っちゃいないんだから。……おまえにはわからないだろうが、このタイヤモンドが教えてくれるよ。
思い出しさえすれば、死んだ人も、生きてたときと同じように幸せに暮らせるってことを……

引用文献:前掲書, p.56

思い出すって、相互作用ですね。
ただ、遺された人が心を掻き乱されるような思い出し方をするのは、きっと亡くなった人にとっても、良くないんだろうと思います。
遺された人にとっては、心の衝撃がより重く、深いものになり、亡くなった人はその重い波動を受け取ってしまうことになると思うから…。

だから 思い出す時、悲しかったこと、辛かったことばかりが頭をよぎるならば、それと同じくらい、楽しかったことを思い出してほしいのです。
もしそんな楽しい思い出がないとしても、その人と共に過ごした時間が、どれほど自分にとって大切で、かけがえのないものであったのか、そこに目を向けるようになると、いろんなことが変わってきます。
そういう思い出し方をするたびに、天国にいるあなたの大切なお子さんには、あたたかく、心地良いそよ風が、吹いて行くのだろうと思います。

 
あなたが亡くなったお子さんへ思いを届けることにより、あなたも、お子さんも、両方幸せになれますように…。
2016/5/20  長原恵子
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