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アメリカの神経解剖学者ジル・ボルト・テイラー先生は、1996年12月のある朝、これまで経験したことのない激しい頭痛に襲われました。37歳の若さで、左脳に脳出血が起こってしまったのです。テイラー先生の出血部位は、身体を動かす能力を司る運動野、皮膚と筋肉で世界を感じる能力を司る感覚野、文章を作る能力を司るブローカ野、言葉の意味を理解する能力を司るウェルニッケ野、そして身体の境界や空間時間を認識する方向定位連合野にわたり、広がっていました。その後、テイラー先生は手術を受けられ、様々な困難な状況を乗り越え、リハビリに励み、新たな人生を歩み始られました。
テイラー先生が病気と向き合った記録は『奇跡の脳』として、現在日本でも出版されています。テイラー先生の歩みを通して、病気でできなくなったことと、どう向き合っていくかについて考えてみたいと思います。

テイラー先生はダメージを受けた脳の可塑性を信じました。そこでアメリカでよく行われているパターンのリハビリではなく、自分で良いと思える方法のリハビリを行なっていきました。治ろうとする自分の身体の力を養い、損なわず、引き出すリハビリです。術後のテイラー先生にとって、体力を奪う結果になりかねない聴覚や視覚の無意味な刺激は避け、十分睡眠による休息を取り、日常生活の小さな出来事をうやむやにしないで、一つずつ積み上げていかれたのです。

まず最初に、テイラー先生が脳出血後のリハビリについてどう考えられたのか、見てみましょう。

ニューロンが遺伝的にプログラムされた機能を失ったら、その細胞は、刺激の不足から死んでしまうか、あるいは何か新しくやることを見つけ出すでしょう。(略)わたしにはこの脳の可塑性と、成長し、学び、回復する能力を信じてくれる、まわりの人たちの支えが必要だったのです。


引用文献:
ジル・ボルト・テイラー著, 竹内 薫訳(2009)
『奇跡の脳』新潮社, p.134

テイラー先生は自分に対して無条件の愛のもとに、応援してくれるお母様と一緒にリハビリに励みました。この本の中ではお母様のことはママとか母親といった言葉のほかに、ニックネーム「GG」として表記されています。母親をそのように表記することは、日本人から見ると違和感がありますが、親子というよりも、人間同士として向き合っていたからなのかもしれませんね。

すぐに脳全体を刺激することがとても大切だということが、GGと私にはよくわかっていました。脳のニューロンどうしの結合は壊れています。
脳の細胞が死滅するか、やるべきことを完全に忘れてしまう前に、脳を再び刺激することが急務だったのです。(略)
GGはまた、わたしにはたくさんの選択肢のある質問だけをして、イエスかノーの答えしかないような質問はしないことを早くから決めていました。たくさんの選択肢からどうしても選ばなくてはいけない状況では、頭の中の古いファイルを開けるか、新しいファイルをつくるかのどちらかが要求されます。でも、○×式の、イエスかノーかの質問には、あまり考えなくても答えられてしまうのです。GGはニューロンを活性化する絶好の機会を見逃しませんでした。


引用文献:前掲書, p.137

テイラー先生は物事の認識がおぼつかなくなっていたため、一つずつ「それはどういうものか」を思い出すことから、始める必要があったのです。
自分の記憶を探り当てる作業は、時に本人に厳しい現実を突き付けることになります。もしかしたら「わからない」という事実は、自分に対して絶望の感情をもたらすかもしれません。
でもテイラー先生は、むしろそれを前向きに捉えたのです。

過去の人生を掘り起こし、GGと一緒に頭の中のファイルを正常な状態に戻すのは、信じられないほど面白い作業でした。
母は、わたしが考えていることを知りたいときには、イエス=ノー式の質問は意味がないことにいち早く気づいていました。どうでもいいようなことだと、わたしはついつい目配せで意思を伝えてしまいます。わたしが母に注目しているか、そして実際に頭を働かせてそうしているのかどうかを確認するため、ママは複数の選択肢がある質問をしました。こんな具合に。
「昼食は、ミネストローネスープにする?」
そこでわたしは脳の中で、ミネストローネスープとは何だったかを見つけ出す検索(サーチ)を始めます。いったんその選択肢が理解できると、もうひとつの選択肢に進みます。
「そうでなければ、グリルド・チーズ・サンドイッチも用意できるけど」
ふたたび、グリルド・チーズ・サンドイッチが何たるかを求めて脳内を検索します。ひとたびそのイメージと知識が頭に浮かんでくると、ママは続けます。
「でなきゃ、ツナサラダもあるわ」
わたしはツナ、ツナ、ツナとよく考えて、思い出そうとしますが、何のイメージも知識も検索に引っかかってきません。
そこでこう訊ねます。「ツナって何?」
すると、ママがすぐに答えます。
「海で獲れるツナという魚のこと、白い肉に、マヨネーズ、タマネギ、セロリを混ぜてあるわ」


引用文献:前掲書, pp.110-111

テイラー先生も大変だったと思いますが、お母様も実に大変だったと思います。身の回りのありふれた事柄がわからなくなってしまった娘を前に、何度も心が折れそうな瞬間が訪れたことでしょう。
でもお母様は娘に、失った知識を再び手につかんで、そこから自分で選択する喜びを知ってほしかったのだと思います。
自分で選ぶ楽しさ、自由さ、それは人生をこれから自分で切り開いていくためには、欠かせないことですから…。
お母様は苛々したり、怒鳴ったり、怒ったりするのではなく、物事を表すために積極的に言葉を使いました。それは自分の投げかける言葉が、娘の頭の中に残っている記憶のかけらに、光をあてるかもしれないといった期待をこめていたのかもしれません。

さて、ツナとツナサラダの説明をうけたテイラー先生ですが、それが一体何か、記憶の中から引き出すことはできませんでした。

結局ツナのファイルが見つけられなかったので、それを昼食に選びました。これが、古いファイルが検索に引っかからなかった場合の基本戦略。
つまり、ファイルが消えてしまったのなら、新しいファイルを作ればいいというわけです。


引用文献:前掲書, p.111

できないから落ち込むのではないのですね。
「ファイルが消えてしまったのなら、新しいファイルを作ればいい」
何て素敵な言葉でしょう。
ツナが何かわからなければ、ツナを見ればいい、味わえばいい。そこから新しくツナとは何か自分の認識を作れるのですから。

感情は物事に対して自分の心が生み出すものですが、どんな視点でそれを見て、感じるかによって随分気持ちが変わってきます。その物事は決して変えられなくても、生まれる気持ちは自分で変えられる。そこから自分の行動が生まれてくる…そのようなことを改めて強く感じさせられます。

 
お子さんが病気のために何かできなくなっても、それは次に新しくできることへの前段階です。どうかできないたびに落ち込まないで。
2014/8/5  長原恵子
 
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