病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
大切なお子さんに先立たれたご家族のために…
 
ご案内
Lana-Peaceとは?
プロフィール連絡先
ヒーリング・カウンセリングワーク
エッセイ集
サイト更新情報
日々徒然(ブログへ)
 
エッセイ集
悲しみで心の中が
ふさがった時
お子さんを亡くした
古今東西の人々
魂・霊と死後の生
〜様々な思想〜
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
 
人間の生きる力を
引き出す暮らし
自分で作ろう!
元気な生活
充電できる 癒しの
場所
魂・霊と死後の生〜様々な思想〜

親を案じ、迎えに来るこどもたち

夭逝したお子さんの行方…天国、極楽、浄土、様々な表現方法はあるけれど、心地良い場所で安らかに過ごせていると良いなあと思う親心は、いつの世も変わりません。でも、そういう世界があると証明してもらわなければ、信じられない…といった思いを抱えている方もいらっしゃいます。何をもって証明と言うのか? それは難しいことだけれども、でも確かに死後の世界の存在を実感できている人がいることは、否定できない事実でもあります。緩和ケア医の奥野滋子先生の本の中に、亡くなる前に、早世したお子さんとの再会を迎えた方々のお話が登場していましたので、ご紹介したいと思います。

---*---*---*---

60代のある女性は、がんで化学療法を受けていたそうですが、期待した効果が得られず、退院することになりました。いずれ体力が戻れば、また治療を自宅で再開したいと女性は望んでいましたが、病魔は随分進行していたのです。そんなある日、彼女の元に一人の青年が訪れました。

「知らない男性だったけど、
 直感的に自分の息子だとわかりました」
「部屋に来て、ニコニコとしていた」


引用文献:
奥野滋子(2015)『「お迎え」されて人は逝く 終末期医療と看取りのいま』ポプラ社, p.44

病院で医師にそういう話をしたら、カルテには「幻覚を見るようになった」と記されてしまうかもしれませんね。その男性は、幼い頃、亡くなってしまった彼女の次男でした。彼は成長した青年の姿で母の前に現われていたのです。霊感の強い姪御さんは、その次男の存在を部屋の中に感じていたと言いますから、決して幻覚などではなかったでしょう。
思いがけない次男との再会、「あぁ、この子は立派に成長していた…」「大きくなっても、私のことを忘れないでいてくれた…」そんな風に嬉しく思ったことでしょう。そしてこの世での生から、死後の生へと移り進むための準備を始めたのです。長男に料理を教え、大切にしていた庭の花々の手入れを託しました。一緒に買い物にも行ってプレゼントを送り、きれいに身支度を整えて自分の遺影を撮影しました。そして1週間後、旅立っていったのです。旅立ちの瞬間、きっと次男が母をしっかり守り、導いてくれていっただろうと思います。

もう一人、若い頃に幼いこどもを亡くしたある女性の元に、一人のこどもがやってきました。その子は彼女の布団に入りたいと言うのです。

たとえば、私が看取ったあるおばあさんは、亡くなる直前に「あの子、あんな格好で寒くないかしら」とよく話していました。家族に確認すると、若いときに子どもを亡くされていて、どうやらその子どもが会いに来ていたようです。
ベッドの脇には私以外誰もいないのに、「この子、ベッドに入りたいというのよ。布団が足りないから、もう1枚持ってきて」と頼んでくるので、「今、そばにいるの?」と尋ねると、「いる」と答えました。


引用文献:前掲書, pp.50-51

その女性はその子のことを「よくわからないんだけど親しみを感じる」とお話されたそうです。もしかしたらから赤ちゃんの頃に亡くなったお子さんが、大きくなり、遊び盛りの小学生の姿となって表れてきたのかもしれませんね。そうであれば、顔の印象が変わってしまうのも、無理ないことではありますね。

さて、奥野先生の身内の方にもそういう経験があるのだそうです。奥野先生のおばあ様は心臓病で亡くなる前の日「男の人がそこにいる」と話していたそうです。
おばあ様の息子さん(奥野先生のお母様の兄)は、学生帽と高下駄とマント姿の似合う学生で、家の前の階段を高下駄で元気よく駆け上がり、ただいまと元気に戸を開けて挨拶する青年でした。しかし戦時中、残念ながら腹膜炎で亡くなったのです。彼の死後、おばあ様は息子の後を追いたいほど落ち込み、泣き暮らしました。しかし息子の高下駄の音が聞こえる感覚がして、悲しみがやわらぐようになりました。それは単なる幻聴なのではなく、母を心配した息子の成せる技だったのかもしれません。「僕はいつもそばで見守っているんだからね」という思いを伝えるために…。

その後、月日は流れ、おばあ様が心臓病のため余命の限りとなりました。

「ああ、来てくれたのね」と宙を見ながら会話している。
その様子を見た母は「お兄ちゃんが来てくれたんだったら、仕方ないね」「ずっと、一緒に死にたいと言っていた人に会えたのだから、よかったじゃない」と気持ちの整理ができたと話していました。


引用文献:前掲書, pp.152-153

当時学生さんだった息子さんがお迎えに来た時、すっかり成長した男性になっていたことから、おばあ様は最初はわからなかったそうです。でも面影と懐かしさから息子だと気付いたのでしょう。息子の名前を呼んでいたのでした。

死後もずっと成長し、親の行く末を案じているこどもたち…。親御さんもいつか必ず迎える人生の最期の日、お子さんとの再会に胸を張れるように、人生を大切に生きてほしいです。
2017/10/16  長原恵子