病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
大切なお子さんに先立たれたご家族のために…
 
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握りしめた手と伝えたかった言葉

医療従事者がご両親である場合、ご自分のお子さんの具合が悪くなっていく様子を見る時には、とても矛盾した気持ちを感じるかもしれません。
医学的な知識に基づいて、頭の中でお子さんの状態を把握している自分が強く占めている時は、医師の説明する言葉以上に事態を理解していることでしょう。でも、気持ちの動揺が強い時にはどんなに言葉を尽くして、時間をかけて説明を受けても、ちっとも頭の中に入ってきません。「そんなこと、あるわけがない!」と事実を否定する気持ちが強いと思います。
今日はアメリカの小児科医メルヴィン・モース先生の著書に登場する、ある看護師のお話をご紹介したいと思います。

彼女は死が近い方を主にケアする部門に所属されている方でした。お嬢さんが病気だったのですが、母としても、看護師としても娘の具合が大変厳しい状況であることをよくわかっていました。
お嬢さんに心肺蘇生が行われている間、部屋の外で待たされていた彼女は、ジレンマにかられていたことでしょう。一刻も早く部屋の中に入れてもらい、自分と娘だけの静かな時間を作ってほしいと…。
そしてようやく、彼女はお嬢さんに会うことができました。でも既にお嬢さんは逝ってしまった後だったのです。

どんな蘇生処置も、むだだとわかっていた。末期患者の看護婦である彼女には、娘は死ぬのだとわかっていた。
しかし、母親でもある彼女には、医師に娘を死なせてやってくれということもできなかったのだ。

それからの数時間、医師たちは娘さんの動脈に注射をしたり、鼻にチューブを入れたりした。心臓が停止すると、パドルを胸に当て、電気ショックを与えて蘇生させようとした。
医師たちが娘に何をしているかを悟って思わず息をのむと、助手をしていた看護婦が彼女を廊下へ連れ出し、そこで待っているようにいった。

「すべてが終わったとき、やっとわたしは中に入れてもらうことができました。蘇生チームの全員ががっくりとうなだれて引き揚げていきました。娘の命を延ばすことができなかったからです。彼らがドアを閉め、わたしは病室で娘の遺体とふたりきりで残されました」

彼女は、かなり長い時問、娘さんの遺体と一緒に黙って座っていた。そのとき、衝撃的なことが起こった。
娘さんが起き上がると、彼女の目をまっすぐに見つめたのだ!
「あの子は生きていました。わたしにはわかります」
彼女はいう。
「娘はわたしの手を握りしめていいました。
『ママ、心配しないで。わたしはもう大丈夫だから』(略)」

彼女はこう語った。
「わたしは悲しみで我を忘れたりはしていませんでした。看護婦の目で、冷静に見ていました。でもあなたの講演を聞いて、娘があのメッセージを伝えるためにほんの数秒間だけ戻ってきてくれたのだとわかりました。娘の死について、これから臨死体験の話を聞いたいまは違った考え方をするようになると思います」

引用文献:
メルヴィン・モース/ポール・ペリー著, 池田真紀子訳(1995)
『死にゆく者たちからのメッセージ』同朋舎出版, pp.36-37

お嬢さんを亡くされてから10カ月間、彼女はずっと、自分の体験を受け容れることができなかったのです。
あまりにも悲しくて、自分が頭の中に幻覚を描きだしたのかと思っていたのだそうです。でもモース先生の講演会に参加されて、彼女はようやく、自分が見たものが幻覚なのではなく、本当の体験だったのだとわかるようになりました。

『ママ、心配しないで。わたしはもう大丈夫だから』
それはお嬢さんの心の底からの言葉だったのだと思います。
娘が最期を迎える時、廊下でたった一人ぽつんと待たされていた母親。
蘇生処置だとはわかっていても、それを理解する気丈な看護師だったとしても、どれほど心細く、そしてどれほど悲しかったことでしょう。
そんな母親の気持ちをお嬢さんは十分察していたのだと思います。
もしかしたら、二人きりになれたから、伝えることのできたメッセージなのかもしれませんね。誰にも邪魔されたくなくて。

 
たとえあなたがお子さんの最期、そばにいることができなかったとしても、お子さんはあなたの愛情をしっかりと受け取っています。 
2014/9/16  長原恵子