病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
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エッセイ「生まれ出ることのなかった命とのつながり」 では、流産や中絶によって会えなかったお子さんとのつながりについて書きましたが、今日は死産したお子さんについてです。

あんなに頑張って出産したけれども、お子さんが亡くなったと聞かされた時、あなたの悲しみはどれほど深かかったことでしょう…。それを思うと胸が痛みます。自分の身体の痛みがそのまま心の痛みに引き継がれ、長い間、心も身体も苦しさでいっぱいだったことと思います。
死産したお子さんのことを思う時に、悲しいと思う他に「誰にもかわいがってもらうチャンスもなくて、赤ちゃんに一人寂しい思いをさせてしまった。この手でしっかり抱っこしてあげたい…」という気持ちを抑えることができないと思います。

決してあなたは何も悪くないけれども、お子さんに対して、何か罪悪感のような思いを持ち続けている方もいらっしゃるかもしれません。
でも、お子さんは決して寂しくしているわけではありません。

本当にそうなのだろうか…と疑問に思うかもしれませんが、次のようなお話を聞くと、心が落ち着くかもしれません。
フロリダのある女性は、出産時、血管が破裂して血圧が急激に低下して、大変危険な状態に陥りました。彼女はその時、以前、死産したお子さんに巡り合ったのです。

私は出産のとき死にかけました。力んでいたとき、血管が破裂し、血圧が急に下がってしまったのです。
激痛が走ったあと、突然体から抜け出ていました。自分の体の上に浮かんでいたのです。しばらくは医者たちをながめていましたが、そのうちにどんどん上に昇り始め、天井を抜けました。
実際、電気の配線を目にしたんですよ。
それから私は洞穴のようなところを上昇しました。

出口につくと、そこには自分と同じような姿かたちをした人々が数多くいました。何年も前に亡くなっていたおじいさん、おばあさんがいました。朝鮮戦争で戦死した叔父もいました。

それから、少年が一人私のほうへやってきました。
まだ小さな子供でした。彼はこう呼びかけてきたんです。
「やあ、母さん」。
それでその子が、数年前に死産した私の子供だったと分かったのです。私はしばらく彼と話をし、彼が親戚と一緒にその場所にいることに、とても満足しました。
やがて彼は私の手を取り、こう言いました。
「母さんは、もうもどらなくちゃいけないんだ。ぼくが見送ってあげるよ」
私はもどりたくありませんでした。でも彼はそう言って譲らないんです。彼は私を見送ると、お別れのあいさつをしてくれました。そして私は自分の体にもどったのです。

こんなこと、だれにも言えませんでした。
信じてくれる人なんて、いると思いますか?
夫は、耳も貸してくれないに決まってますから、はじめから話しませんでした。


引用文献:
ダニオン・ブランクリー, ポール・ペリー著, 大野晶子訳
(1994)『未来からの生還―臨死体験者が見た重大事件』同朋舎出版, pp.152-153

死産したお子さんは、母親にご縁のある人々に囲まれて育っていたのですね。決して一人ぼっちで孤独に過ごしていたわけではないのです。
あたたかい愛情に包まれ、あちらの世界ですくすくと育っていたのです。

「母さんは、もうもどらなくちゃいけないんだ」きっとその少年は、母親がまだこの世の人生が十分残っていることを知っていたのでしょう。
「ぼくが見送ってあげるよ」
その言葉には母親に「しっかりこの世の人生を生きてね。そうしないうちに、こっちに来たとしても、母さんはまだその時期ではないから、ぼくは母さんと楽しく一緒に過ごすことはできないんだよ…。」そういう気持ちが込められているように思えてきます。
少年はあちらの世界から母親のことを、見守っているのですね。
そして自分のことではなく「相手のこと」を慮るやさしさを、育んできたというわけです。何とすごいことでしょうか!

人間の人生、それぞれの寿命。それをしっかりと見守ってあげたいと願う人がいて、それを願われている人がいる…。
そこには親子の関係、親が子を育て、教え導くといった関係ではなく、一対一の人としての対等な関係が成り立っているのかもしれません。

死産した赤ちゃんといっても、立派な人格です。
その赤ちゃんに守られて自分は生きているのだと思ったら、心に元気が湧いてくるような気がいたします。

 
死産したお子さんはあなたがあなた自身の人生を十分に、幸せに生きることを願っているます。それをどうか忘れないで。     
2014/9/2  長原恵子