病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
大切なお子さんに先立たれたご家族のために…
 
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我等は四人である

自分の心の中にある確固とした信念や、拠り所とする信仰が、お子さんを亡くされてどうして良いかわからない悲しみの中から、自分を引き上げてくれることがあります。
今日はそうした信仰の強さが、遺されたご両親の生きる希望につながった例をご紹介したいと思います。

明治維新の頃に幼少期を過ごし、昭和初頭まで活躍されたキリスト教思想家 内村鑑三先生は、お嬢さんのルツ子さんを1912(明治45)年1月、亡くされました。ルツ子さんは女学校を卒業した後、父鑑三先生の聖書研究社で事務の仕事を手伝っていたのですが、結核にかかり、7カ月の療養の末、永眠されたのです。ルツ子さんはまだ19歳でした。

療養最期の12日間は、鑑三先生とルツ子さんご本人の希望により、医師の診察を受けず、薬を止め、神様に祈ることだけを続けました。
そうした時間は、周囲の目には諦めのように受け取られてしまったかもしれませんね。でも、篤い信仰の一家にとって共に選んだ「神様に依つてのみ全癒を待つ」という時間は最も心強く、心地良く過ごせた日々だったのかもしれません。

亡くなる12分前にルツ子さんは「もう、往きます」そうおっしゃいました。その時を振り返り、父鑑三先生は次のように綴られています。

『モー往きます』とはルツ子の一言なりき。
彼女は此言を発して後十二分にして気息絶えたり。
『モー往きます』言簡短にして意味深遠!(略)

『往きます』なり。
『死にます』に非ず。又は『滅(き)えます』に非ず。彼女の生命は終止せしに非ず、延長せしなり。彼女の場合に於て、霊魂不滅は事実的に證明せられしなり。

『モー往きます』と何処へ?悪しき処へ往きしには非ざるべし。彼女の死顔が其口元に微笑を留めしを見て、以て彼女の善き処へ往きしを知るなり。其時彼女に先立ちしツサ子イチ子等は彼女を迎へ天使は既に彼女を抱きて光輝の国へと彼女を携へしにはあらざる乎。我等は爾かく信ぜざらんと欲するも能はず。

『モー往きます』と、何故「モー」か。
最早既に此の世に於て為すべき事を為し了りしが故に往くとの意なりし乎。
或は受くべきの苦痛を受け尽し、飲むべき苦が杯を飲み乾せしが故に往くとの意なりし乎。
或は更に光輝の国が既に彼女の眼に映ぜしが故に、最早此の汚濁の世に居るに堪へずして往くとの意なりし乎。

言簡短にして其意を解し難し。然れども解し難しと雖も察するに難からず。


引用文献:
内村鑑三「ルツ子の性格」,
村田勤・鈴木龍司編(1937)『子を喪へる親の心』岩波書店, p.85
(本編は「聖書之研究ルツ子号」(大正二年三月)にも前出)

※WEBの都合上、旧漢字は当方が常用漢字に直して載せています。

古い言葉で書かれているので、わかりにくいかもしれないので、私の方で改めて現代の言葉に直してみますね。

長原私訳:
『もう往きます』とはルツ子の最期の一言でした。
そう言って、十二分後、息を引き取りました。
『もう往きます』何とシンプルで、意味の奥深い言葉でしょうか!(略)

『往きます』だったのです。
『死にます』ではなく、又は『滅(き)えます』でもなく。
娘の生命は終わってしまったのではなく、延長したのです。娘の死によって、霊魂が不滅であるということが証明されることとなりました。

『もう往きます』娘は一体どこへ往ったのでしょう? 
決して悪い所に往ったのではありません。
娘は口元に微笑を浮かべて亡くなったのを目にして、私は娘が善い所に往ったのだと知りました。
娘に先立ち亡くなり、天使となったツサ子さんとイチ子さんは、娘を抱いて光り輝く国へと連れて行ってくれたのではないでしょうか…。
信じないと思っていても、そんなことはできません。
(二人に守られて、天国へ往ったと信じています)

娘は『もう往きます』そう言いました。
どうして「もう」なのでしょう…。
この世でやらなくてはいけないことを、もはや既にやり終えてしまったから、往くという意味なのでしょうか。
あるいは、この世で受けるはずの苦痛を受け尽してしまい、飲むべきはずの苦しみの杯を飲みほしてしまったから、だから往くという意味なのでしょうか。
あるいは娘の眼には、光り輝やく国が映っているからこそ、汚濁に充ちたこの世の中にい続けるのはもう堪えられないから、往く、そういう意味なのでしょうか。

言葉は短すぎて、言葉の本当の意味を理解することは難しいけれども、いろいろと考えてみると、そう難しいことではないような気もいたします。

「もう」という言葉はいくつもの意味の可能性を持っているけれど、いずれにしても、ルツ子さんが自分で決めたという気持ちが表れているように父鑑三先生は受け取ったのだろうと思います。
不本意な終わりなのではなく、心残りでいっぱいなのではなく、何かこれからなすべきことが心の中にあって、それをやるためにこの世ではなく、新しい別の世界へ往こうとする…。
ルツ子さんにとって死という概念が、途切れることのない生の続きの先に待つ、新しいバージョンの世界への移動、そのような解釈であったのかもしれませんね。

ルツ子さんの死後、内村先生は「我等は四人である」という詩を書かれました。妻、娘、息子との暮らしが、ルツ子さんの死によって三人になった寂しさが、詩の中に現れています。

しかしこの短い詩の中に内村先生は、タイトルを含め、七回も「四人」という言葉を使っています。娘の生きていた過去の時間も、娘が先立ってしまった今の時間も、そしていつか家族が皆、この世を去った後の時間も、ずっと四人であり続けるという思いは、願望でもあり、また信仰に基づく信念でもあり、内村先生の悲しみを支える力に変わっていったのだと思います。
篤い信仰に基づく「復活と再会」を頼りにして、自分の生きる力に変えていったことが強く現れています。

「我等は四人である」

我等は四人であった
而して今尚四人である
戸籍帳簿に一人の名は消え
四角の食台の一方は空しく
四部合奏の一部は欠けて
賛美の調子は乱されしと雖も
而も我等は今四人である

我等は今尚四人である
地の帳簿に一人の名は消え
天の記録に一人の名は殖えた
三度の食事に空席は出来たが
残る三人はより親しく成つた
彼女は今は我等の衷(うち)に居る
一人は三人を縛る愛の絆となつた

然し我等は何時までも斯くあるのではない
我等は後に又前の如く四人になるのである
神の菰(らっぱ)の鳴り響く時
眠れる者が皆起き上る時
主が再び此地に臨(きた)り給ふ時
新しきエルサレムが天より降る時
我等は再び四人に成るのである


引用文献:前掲書, pp.86-88
※WEBの都合上、旧漢字は当方が常用漢字に直して載せています。

 
いつかまた会える時まで、あなたはあなたの人生を大切に生きてください。それはあなたのためでもあるし、これから再会するお子さんのためでもあります。                       
2014/3/28  長原恵子