病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
大切なお子さんに先立たれたご家族のために…
 
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目と耳が不自由であったヘレン・ケラー女史が、周りを取り囲む環境、すなわち実質的な世界と関わるための力を授けたのがアン・サリバン先生であるならば、観念や深い思想の世界への入り口へと導いたのは、ジョン・ヒッツ氏だと言うことができるでしょう。
ジョン・ヒッツ氏とは当時、耳の不自由な方のための情報を集め、配信し、雑誌を発行する機関「ヴォルタ局」の局長であった方です。ヘレンが13歳の頃、ヒッツ氏に出会いました。ちょうど思春期を向かえ、いろいろと抽象的な概念についても興味を示したり、思案にふけるようなお年頃ですから、まさしく「準備ができたときに師に会える」とでも言うべき出会いだったのだと思います。

ヒッツ氏はヘレンを一人の人として尊重し、ヘレンのたゆまぬ知的好奇心や探究心に理解を示し、支持的な交流を続けてくれました。ヒッツ氏と共に歩いた散歩では、自然のいきいきとした営みを心から感じることができました。また、ヒッツ氏はヘレンの必要としている本やその解説書や抜粋書を、点訳編纂してくれたのです。その中には、後にヘレンの信仰の核となるスウェーデンボルグが記した天界に関する著書も含まれていました。

指で綴りを書き、ヘレンの話す言葉を高齢のヒッツ氏が聞き取ることは、決してたやすいことではりませんが、大変な努力を上回る価値があったとヘレンは感じていました。
思春期の多感なヘレンが人生を進んでいく上で、頼りとすることのできた信仰との出会いのきっかけを与えてくれたからでしょう。

さてそのヒッツ氏ですが、かなりのご高齢だったのですが、ワシントン駅で下車したヘレンに会いにきて、抱擁して別れたその瞬間に心臓発作で亡くなってしまいました。その時のことを、ヘレンは次のように回想しています。

彼は、まさにいまわのきわに私の手を取ってくれたのですが、あの暗黒の一瞬を思うとき、私は今でも彼の手の握力を感じるのです。
もし私が、彼は本当に死んでしまったのだと考えていたとしたら、あんなに親しく優しかった友を亡くしたことに私は耐えられなかったでしょう。
けれども、彼の気高い哲学と来世が存在するという信念が、私の夢想などおよびもつかないような幸せで美しいあの世で、ふたたび彼に会えるはずだというゆるぎない信仰を支えてくれました。彼のたぐい稀な人柄の記憶が心にとどまっていて、それがいつも私を力づけてくれています。

引用文献:
へレン・ケラー著, 鳥田恵訳(1992)『へレン・ケラ一 光の中へ』めるくまーる, pp.48-49

ヒッツ氏によって知ることのできたスウェーデンボルグの思想、すなわちこの世での死後、その生は天界で永遠であるといった思想は、ヘレンを救うことになったのです。
人それぞれの信仰ですが、死によってすべてが終わりなのではなく、先立った人は安らかな幸せな世界で新しく生き始め、やがて自分もそこで再会できるのだと思えば、寂しさを拭えるきっかけになるように思います。

 

お子さんを亡くされたご両親、どうかご自分の人生を存分に生きてくださいね。いつかあなたがお子さんと再会する時、その後の人生のおみやげ話をたくさんできるように…。               

2014/1/20  長原恵子