病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
大切なお子さんに先立たれたご家族のために…
 
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前回キサー・ゴータミーのお話を紹介しましたが、ゴータミーと同じ頃の時代、コーサラ国の都サーヴァッティーの女性パターチャーラーも、実に悲しい死別を経験しました。

裕福な家庭の娘であったパターチャーラーには、両親が決めた結婚相手がいました。しかし、パターチャーラーは好きだった召使いの男性がいたので、結婚を拒み、その召使いと家を出て、暮らしはじめました。

一人目の子どもを身ごもった時には、実家での出産は叶いませんでした。そこで二人目の子どもを妊娠した時には、どうしても実家で出産したく、パターチャーラーは家族と共に、実家に向かいました。しかしその旅の途中で産気づいてしまったのです。外は暴風雨が吹き荒れていました。夫は妻と子どもたちを守ろうと、木の枝で小屋を作りました。しかし屋根がなくては雨が吹き込んでしまいます。夫は林の中に入り、屋根にするための木を切り倒そうとしましたが、毒蛇に噛まれ、亡くなってしまいました。

暴風雨の中、生まれたばかりの赤ちゃんと上の子どもを守りながら、一夜を明かし、夫の帰りを待っていたパターチャーラーはどんなに心配したことでしょう。翌朝、夫を探しに行ったところ、夫が倒れて亡くなっているのを発見しました。

パターチャーラーは失意の中、二人の子どもと共に実家に向かいました。しかし前夜の雨で、川は水かさが増していました。パターチャーラーはまず上の子を抱いて川を渡り、次に川岸で待たせていた赤ちゃんのところへ戻ろうとした時、赤ちゃんが、鷹にさらわれてしまったのです。そして向こう岸に渡ったはずの上の子は、母親を追いかけて川の中に入り、流されてしまったのです。

不運はパターチャーラーの実家も襲っていました。前夜の暴風雨は、実家をつぶし、パターチャーラーの父母と兄弟は、家の下敷きになって亡くなっていたのです。

事故、災害により、パターチャーラーはいっぺんに家族を失ってしまいました。自分が自分でないような感覚が起こったり、自分の心の動きが停止したり、何も判断できないといったことは、強烈な悲しみの衝撃から自分を守る上で当然起こるはたらきだと言えるでしょう。
パターチャーラーは正気を失い、裸のまま、町をうろうろとさまよい歩きました。そのとき釈尊に出会ったのです。
これまでのいきさつを聞いた釈尊は、パターチャーラーに次のように語りかけました。

「パターチャーラーよ、案ずることはない。私こそ汝のよりどころとなろう。汝は家族を失なって悲しんでいるが遠い昔からいままで、子を失った親が流した涙は、四つの海の水の量よりもっと多い。」

引用文献:
菅沼晃(1990)『ブッダとその弟子 89の物語』法蔵館, p.179

悲しいのはあなただけではない、と言われても、悲しい時は人は皆、「自分が世界で一番悲しい」くらいの気持ちになっているものです。
そんな時に「汝のよりどころとなろう」とおっしゃった釈尊の言葉によって、一人ぼっちになったパターチャーラーの心の奥底には、あたたかい気持ちが広がったのだろうと思います。

誰かを頼りにする、ということは、決して逃げることではありません。
でも、どうしても一人で頑張ってしまう方もいらっしゃいます。
「自分の辛さは、誰にもわかるはずがない。わかってもらえない」
お子さんを亡くしたご両親の中には、そんな風に思って、ずっと一人で気持ちを溜め込んでいる方がいらっしゃいます。
一番身近にいるご主人や奥様にさえも、自分の気持ちを伝えられていない方が、いらっしゃいます。
でもそれは「相手(夫・妻)にこれ以上、心配や負担をかけたくない」という気遣いによるものかもしれませんし、「話しても本当のところが通じない」といった諦めの気持ちかもしれません。
大学院(修士課程)でグリーフケアの授業を受けた時、「悲しかった出来事を新たに思い出して、言葉にすることは、傷口に塩を塗るようなものではないだろうか?」という疑問がわきました。
そこで、授業をしてくださっていたK先生に質問をしたところ、「言葉にすることは、心の中で高まった圧力を解放することにつながる」ということを、圧力鍋の例を用いて説明してくださいました。
もし言葉にしないですごしていると、その感情はずっと心の中に溜まったままであり、いつか高まった圧力によって心は爆発することになってしまうと。

言葉にすることが、一気に物事を解決するわけではありません。
でも、少しずつ圧力を逃がすことによって、大きな塊の一部が少しずつ溶けていくのだろうと思います。
そして、先立ったお子さんへの気持ちを言葉にすることによって、それを聞いた人の心の中にあなたのお子さんが新たに登場し、記憶の中で生きていくことができるのだと私は思います。
そういう時にLana-Peaceではお手伝いできればなぁと思っています。

 
お子さんを思い返す言葉によって、先立ったお子さんの生きる場所がたくさん増えますように…。                  
2013/7/15  長原恵子