病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
大切なお子さんに先立たれたご家族のために…
 
ご案内
Lana-Peaceとは?
プロフィール連絡先
ヒーリング・カウンセリングワーク
エッセイ集
サイト更新情報
日々徒然(ブログへ)
 
エッセイ集
悲しみで心の中が
ふさがった時
お子さんを亡くした
古今東西の人々
魂・霊と死後の生
〜様々な思想〜
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
 
人間の生きる力を
引き出す暮らし
自分で作ろう!
元気な生活
充電できる 癒しの
場所
悲しみで心の中がふさがった時
十分生きたこどもたち
〜深いところにある自己意思と神の同意〜

アメリカの小児科医メルヴィン・モース先生の著書『死にゆく者たちからのメッセージ』の中に、クリフトン・フルカワ先生の体験談がありました。フルカワ先生はアレルギー分野で功績を残されている方で、かつて半年間ほど、ともに働いたことがあるのだそうです。
その間は特に、プライベートなことを話し合うような仲だったわけではないそうですが、ある晩、フルカワ先生はモース先生あてに電話をかけてきて、ご自分の息子さんが湖で溺れて亡くなった時、自分が体外離脱をしたという話をしてくださいました。医師であるモース先生にとって、臨死体験、体外離脱を語るこどもたちの研究をすることは、強い風当たりを感じることが何度もあったことでしょう。科学では説明のつかないような事象に取り組むことは、非科学的な解釈を進めることでもあるのですから…。
でも、「スピリチュアルなできごとを調査することに疑問を抱く必要はないよ、逆に、できるだけ堂々と研究を進めたらいい」というフルカワ先生の言葉は、モース先生に研究の大切さを確信させ、研究を続ける勇気を与えることになりました。

さて、そのフルカワ博士の話について詳しくみていきましょう。
ワシントン州のある湖で、フルカワ先生はご子息が溺れているのを発見したのだそうです。助けようとご自分が湖に飛びこんだフルカワ先生は、その時、突然、ご自身が体外離脱をされました。救おうと湖の中でもがいている自分の姿を、湖の上方から眺めるもう1人の自分がいたのです。もう1人の自分は湖の中にいる自分の頭頂部の髪も見たり、湖の周りの風景を見渡すこともできたのだそうです。

その時、フルカワ先生は湖でもがいている自分と、それを客観的に眺めているもう1人の自分の後ろから、2人の自分をみつめている「何か」の存在を感じました。それはいったい、どういうことなのでしょう。

フルカワ博士は、もし自分がこのままもがき続けたら、死んでしまうと感じた。このことについて思案していると、その霊が声を発しないまま、ふたつの選択肢があると伝えてきた。
死ぬまでもがき続けることを選ぶか。
それとも精神的に恐ろしい苦痛を伴うだろうが、自分の肉体に戻ることを選択するか。

博士は戻るほうを選んだ。
「あんなに精神的につらい思いをしたのは、はじめてだよ」
博士はそういった。

息子を失う苦痛を通して、フルカワ博士にははっきりとした変化があった。ひとつには、死に対する恐怖を前ほど感じなくなったこと。そしてもうひとつは、人生の大きな意味を悟ったことだ。

「息子が死んだとき、わたしは死んだらどうなるかわかったんだと思う。そして、それを知ることでわたしは慰められたんだ」


引用文献:
メルヴィン・モース/ポール・ペリー著, 池田真紀子訳(1995)『死にゆく者たちからのメッセージ』同朋舎出版, pp.140-141

生命の大きな岐路に立たされたとき、死を選ぶか、生を選ぶか、それは自分自身の深いところにある、自己意思に基づくものなのかもしれません。
「私はもう十分、この世で果たすべき役割を果たしたのです」そう本人が思い、また神(と呼ばれる存在。他にうまく表現できるような言葉がないので、そう記します)が「確かにその通り。よく頑張りましたね」と考えが一致することにより、死という結末に至るのかもしれません。
逆に「私はもう十分生きた」と思っていても、神がそう判断しなければ、生へと戻されるのかもしれません。臨死体験をした人の多くは、「まだその時期じゃない、あなたはやり残したことがある」とこの世に追い返された話をされるように。

そのように考えると、「無念の死」とは、本当はないのかもしれません。
無理やり人生を終わらされたというのではなく、「自分」が岐路で判断をすることにより、進んだ結果なのであるならば…。
お子さんが短い人生で終わった時、「どんなにか無念だったことだろう」とご両親は悔やみます。でも、そのお子さんにとっては命の時間の長短、あるいはどれだけ人と同じことを経験できたかが問題ではないのです。
そのお子さんにとって、十分に生きて、そのお子さん自身がそう感じて、それを神も「確かにそうだね」と同意したのであれば…。

 
神が認めるほど十分に生きた、お子さんの人生を振り返り、よく頑張ったことへご両親の思いを向けるてほしいなあと思います。   
2015/2/17  長原恵子