病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
大切なお子さんに先立たれたご家族のために…
 
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エッセイ「ご住職だって悲しい」では突然事故で息子さんを亡くされた僧侶の悲しみについて触れましたが、今日は、病気療養の末、年頃のお嬢さんに先立たれた僧侶のお話を取り上げたいと思います。

京都駅から北上し、京都タワーを超えて七条通を過ぎるととても大きなお寺があります。浄土真宗のお寺、東本願寺です。東本願寺の第二十三代法主 彰如(大谷光演氏)は、書や画に長け「句仏」との俳号をお持ちになり、文化人としても活躍された方です。光演氏は大正8(1919)年2月27日、病に臥せっていた22歳のお嬢さん、政子さんを亡くされました。
当時の悲しみは「冴え返る思ひ出」と題されて、「大谷句仏」のお名前で綴られ、発表されました。

麻の如く乱れた頭脳を掻きむしりながら、何が書けよう。
読み返してみるほどのものが書けよう筈がない。
けれどもその支離滅裂した拙文こそ、却つて自然が囁いた深刻なる人生の観察、究境した人類の惨劇に対して、終生忘れんとして忘れ得ぬ印象を記念するには最もふさはしいかとも思へる。

引用文献:
大谷句仏(1937) 「冴え返る思ひ出」,
村田勤・鈴木龍司編,『子を喪へる親の心』岩波書店, p.17
(※WEBの表示上、旧漢字は一部当方が改めています)

そのような冒頭で始まる文章は、法主としてではなく、1人の父親としての自分のありのままの気持ちが溢れるものでありました。
政子さんはどのような病気を患っていたのかはわかりませんが、2ヶ月ほど臥せっていたようです。父句仏氏はそれはそれは、政子さんのことを気にかけていらっしゃいました。京都よりは暖かい垂水の地で療養させよう、移動中風邪を引かせないように手はずをどう整えようか、柔らかい綿の布団で寝かせてあげたいから、布団を新調しよう、そんな心優しい父でした。また政子さんには、互いに惹かれ合った仲の男性がいらっしゃったのですが、相手の親からお断りされた時、病気が治るまで、どうか1年、2年待ってもらえないものだろうか…と心を悩ました、情に厚い人間的な姿があちらこちらに出てきます。

しかしながら、娘の回復が極めて厳しいことがわかった句仏氏は、娘が眠るかの如く心静かに穏やかに、息を引き取ることを願いました。そのため、いざという時には、もう蘇生用の注射等も行わず、最期の瞬間にはただひたすら、苦しみが起こらないようにと主治医にお願いしていたのでした。そうした父の願いが届いたのか、政子さんは、気になった衣服の皺を延ばしてもらい、これで心地良くゆっくり眠れると感謝し、静かに長い眠りについたのです。政子さんご自身も、それは永眠ではなく、お昼寝のつもりだったのかもしれません。
インコが鳴き、犬が吠え、大好きな花が部屋に飾られ、家族が周りにいる。そんな安らいだ時間の中で政子さんが逝くことができたのは、句仏氏の配慮の賜物だと言えるでしょう。

ですが、法主の立場にあった句仏氏の、そのような様子を周囲が理解することは難しかったようです。それでも句仏氏は強い風当たりに対して、毅然とした心を持っていました。

死の覚悟もせねば、一遍の念仏も唱へずして終つた。又その親も遂に念仏の息を絶えけりなどと虚偽の辞を並べて、死者の末期を飾り損ねる程の冷い心を持たなかつた。(略)
伝習を生命とする所謂宗教家の口より、子の臨終に信仰も説かず、念仏も唱へさせで終らせるは、言語道断なりと批難の声も聞いた。けれども批難せらるゝだけ、それだけ臨終の処置に就いて我が思想の上に意義を見出す。


引用文献:前掲書, pp. 29-30

1人の父として、娘の命を最後の瞬間まで慈しむ、それを句仏氏なりの形にしたのだと思います。句仏氏はすっかり冷たくなってしまった政子さんに人形を抱かせては涙があふれ、垂水へ行くことを楽しみに三越であつらえたコートや、妹とお揃いでお気に入りだった羽織をまとわせては泣く…。そうしたことを次のように書いています。

凡そ世の中にこれほど愚なることはないであらうけれども、この最も愚なる行為のなかに人間の真実味は篭る。人生の真面目さをも見出される。


引用文献:前掲書, pp. 33-34

周囲の目にどのように映ろうとも、法主である前に、句仏氏は父であり、人間なのです。そうした心のままにとる行動は、当事者の別れの儀式として、実に大切なことなのだと思います。

人生は夢か。夢が人生か。去るものは疎くなる習ひの情緒も、亡き子の上には、日を経るほどに懐かしさが猶増さる。(略)
愛情の涙は尽きねど。晴れ渡つた春の夕空に、政子の亡き幻影を追ひつゝ、亦今日の日も暮るゝのか。おゝ、寂しい鐘の音。


引用文献:前掲書, pp. 35-36

阿弥陀様のお力で、浄土に救われるのだとわかってはいても、恋しい思いが尽きることはありません。
良いではないですか。そういう気持ちを無理に抑えずとも。
いくら年月が経っても、恋しさは瞬時に自分を、その当時に引き戻すのですから…。

 
先立ったお子さんを思う懐かしさや恋しさは、どうか心の中で抑えすぎないでください。それは自然な心の動きなのですから…。   
2014/2/18  長原恵子