病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
大切なお子さんに先立たれたご家族のために…
 
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悲しみで心の中がふさがった時
逆境から生まれた優しさと強さ 1

私が20代の頃、勤めていた小児外科病棟では、朝、子ども達はご飯を食べた後、当日の受け持ちナースが朝のお熱や呼吸、脈拍、身体の状態、病状の変化などを調べ、支障なければお風呂に入るお手伝いをしていました。お風呂に入れないお子さんは受け持ちナースがベッドの上で蒸しタオルで身体を拭き、足や手を洗面器のお湯で洗ったり、シャンプー台で頭を洗っていました。
ある日、肝臓病の女の子Sちゃんを担当していた時、肩よりも長く、豊かな髪をかわいくまとめようと思うのですが、不器用な私はどんなに頑張ってみても、かわいい感じに結ぶことができません。
私が悪戦苦闘した末に、かわいいまとめ髪ができなくても、Sちゃんはまったく文句を言わず、ベッドの上に置かれた小さなテーブルに向かって絵を描いたり、隣のベッドのお子さんとおしゃべりして過ごしていました。
午後の面会時間にお母様がいらっしゃると、とても素敵に髪をなおしてくださり、Sちゃんも嬉しそうだったので、自分のセンスのなさに申し訳ないやら、情けない気持ちで恥ずかしかったことを思い出します。

病院を辞めて15年ほど経ってから、当時病棟で先輩ナースだった方と連絡をとる機会があり、Sちゃんのお母様が書かれた手記が出版されたことを知りました。そして先輩ナースはその本を送ってくださいました。
病棟では知り得ない自宅でのSちゃんの様子や、お母様の当時のお気持ちなど、とても心動かされることが多く綴られていました。
私が知っているSちゃんは小学生だったのですが、お父様から肝臓を一部いただいて肝移植を受け、やがてティーンエイジャーになり、青春時代をすごされたのですが、残念ながら17歳で逝去されたのだそうです。

先輩ナースはそのお母様が、肝移植を受けたお子さんに「思い切り生きなさい」とアドバイスし、また他の病気のお子さんを励ましたり、いろいろな声かけをしていらっしゃることを教えてくれました。
同じ病気で先立ってしまったご自分のお嬢さんのことを思い出せば、きっと寂しい気持ちや悲しい気持ちで一杯でしょうに…。
Sちゃんのお母様がそうした気持ちを乗り越えた強さや、他のお子さん達へ向けられる優しい気持ちは、一体どこから生まれてくるのだろうかと思いました。
その後、生きがいについて書かれた神谷美恵子先生のご本を読んで、Sちゃんのお母様のことを思い出したのです。

1) ひとたび生きがいをうしなうほどの悲しみを経たひとの心には、消えがたい刻印がきざみつけられている。
それはふだんは意識にのぼらないかもしれないが、
他人の悲しみや苦しみにもすぐ共鳴して鳴り出す弦のような作用を
持つのではなかろうか。

2) 自己をふくめて人間の存在のはかなさ、もろさを身にしみて知っているからこそ、そのなかでなおも伸びてやまない生命力の発現をいとおしむ心である。
そのいとおしみの深さは、経て来た悲しみの深さに比例しているといえる。


引用文献:
1) 神谷美恵子(1980)『神谷美恵子著作集 1 生きがいについて』
みすず書房, p.130
2) 前掲書, p.132

まさに、Sちゃんのお母様の強さと優しさを解説している言葉にふさわしいものだろうと思います。
またSちゃんのお母様はもう一人のお嬢さん(Sちゃんのお姉様)によって、随分と気持ちが助けられてきました。お姉様の存在もかけがえのないものだと思います。
Sちゃんは人生を駆け足で走り過ぎていったけれども、お母様の心の中で共に生きて、いろんなお役目を今、果たしているのだろうと思います。
この世ではSちゃんは病気のために、いろいろとできないことがあったかもしれないけど、亡くなってもなお、この世で生きている人の役に立つという、とても立派な立派なお役目です。

 
大きな悲しみを経て生まれた他者への優しさは、実に深く、あたたかいものですね。それは亡くなったお子さんの力添えによるものだと思います。
2013/8/22  長原恵子