病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
大切なお子さんに先立たれたご家族のために…
 
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悲しみで心の中がふさがった時
歳月の長さではなく心の揺さぶり

なぜ自分の人生から我が子が、足早に去ってしまったのだろうかと嘆くご家族もいらっしゃると思います。
バスを待つ列の中に、ランドセルを背負う子どもの姿を見つけ「せめて小学校にあがるまで大きくなってほしかったな」と思うかもしれません。
駅のホームで談笑する制服姿の高校生を見て「生きていればあんなに背が高くなったのかなあ」と眩しく見ているかもしれません。
普段、いろいろと忙しく過ごしている方も、ふと、信号待ちなどのぽっかり開いた時間の中に、突然、そうした思いが湧き上がってくることがあるかもしれません。そんな時に、お伝えしたい言葉があります。

生きること、それは呼吸することではない。活動することだ。わたしたちの器官、感官、能力を、わたしたちに存在感をあたえる体のあらゆる部分をもちいることだ。もっとも長生きした人は、もっとも多くの歳月を生きた人ではなく、もっともよく人生を体験した人だ。


引用文献:
ジャン-ジャック ルソー著, 今野一雄訳(1962)『エミール(上)』
岩波書店, p.40

人生の長短ではなく、体験に重きを置いたルソーの着眼点は、どのようなところにあったのでしょう。
「体験」とはいろいろな意味があると思います。
家庭の中で得られる体験、外に出かけて得られる体験、学校や友人社会の間で得られる体験…、いろんな体験があるのだと思います。

体験するということは能動的であれ、受動的であれ、どちらにしても、そこには多くの学びを伴うのだと思います。ですから学びの多かった人は、歳月としての命の短さを補うに余りあるほどの価値を、身に携えているということになるでしょう。

しかし、あなたのお子さんがまだ小さな赤ちゃんのうちに亡くなったのであれば、「うちの子はいろいろな体験をするチャンスがなかったのに…」と思ったり、「生まれて数カ月の赤ちゃんだったから、学びを得るような思考能力はまだ発達していないのに…」と悔やまれる方もいらっしゃるかもしれません。

でも、体験によって得られるものは、学びだけではないと思います。体験によって何か嬉しい気持ちや満たされた喜びなどを感じる、ポジティブな心の揺さぶりを経験することもできるでしょう。それは学びに相応するものだと思います。そのような心の揺さぶりは、むしろ小さなお子さんの方が純粋に感じ取りやすいのかもしれません。
また、様々な心の揺さぶりによって得られる心地良さの心境は、生後1日目の赤ちゃんであってもしっかりと持っているはずです。

 
「もっとも長生きした人は、もっともよくポジティブな心の揺さぶりを経験し、心地良さを感じた人だ」と言えるならば、あなたのお子さんは随分と長生きしたはずです。だってあなたが、大切に、愛情をかけて育て、看病していたはずですから。                  
2013/7/5  長原恵子