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「9歳脳腫瘍の少年のひらめきと進む道」では、死を意識して、どん底だった気持ちを立て直していったギャレット・ポーター君のお話を紹介しましたが、パトリシア・ノリス先生と共に、イメージ療法を進めることにしました。その時、ギャレット君はこんな気持ちだったのです。

自分のすべての力を、病気に対してぶつけなくてはなりません。ぼくは自分に「こんちくしょう、ぼくは病気になんか負けるものか」と言いきかせ、自分の白血球、そして勇気と信念をもって、病気との闘いに入っていったのです。
脳腫瘍と戦争を始めることになるわけで、苦しい闘いになるだろうとわかっていました。

けれど、あきらめずにがんばる決心をしたのです。


引用文献:
P・ノリス, G・ポーター共著, 上出洋介訳, 平松園枝監修(1989)『自己治癒力の医学』光文社, p.89

当時ギャレット君は、ノリス先生のご主人のスティーブン・ファリオン先生の指導のもとで、心の力で自分の体をある程度コントロールすること、たとえばあたたかい手を想像して、手の温度を上げたり、身体がゆったりしたイメージをうかべて筋肉をリラックスさせたり、といった方法を学んでいたのだそうです。ギャレット君はサイモントン療法のテープを使ったこともあったそうですが、今回、こども向けの楽しいテープをノリス先生と一緒に作ろう!ということになりました。

ギャレット君の脳が太陽系、脳腫瘍は太陽系に侵入する小惑星で、ギャレット君は太陽系を守る戦闘機編隊ブルーリーダーの隊長です。ギャレット君の白血球や免疫機能は、戦闘機が装備したレーザー砲や空雷です。
ギャレット君は隊長とロボット型コンピューターの役をして、ノリス先生は管制塔の司令官になりました。小惑星(腫瘍)との銃撃戦で一方的にギャレット君が優勢なのではありません。味方の白血球が撃たれて援軍を2倍に増やしたり、敵も脱出するための船を用意したり…と、対戦は容易なものではありません。周囲から見れば、「ごっこ遊び」をしているように思えたかもしれません。でも少なくともそれに集中して対戦している間は、「どうせ、ぼくは…」と、ギャレット君が投げやりになることはなかったでしょう。だって宇宙戦争が激しく繰り広げれているイメージの世界の中では、そんな弱腰の気持ちが張り込む隙間はないのですから。彼は太陽系を守る隊長さんなのですから!
こうしてギャレット君は、このイメージ療法を1年間続けました。

1979年秋から始まったイメージ療法ですが、翌年春から夏になる頃、症状の改善が見られるようになってきたのだそうです。たとえば麻痺していた左足が動くとか。学校にも登校し、授業もよくわかるようになったのだそうです。そして1年ほどたった1980年10月後半には、ギャレット君は、自分の中に腫瘍のイメージが思い浮かばないようになりました。
イメージ療法を指導していたノリス先生は、ギャレット君が飽きたのだろうかと思い、白血球がいつも体の中をパトロールするように指示を出すイメージ療法も行いました。
ギャレット君の改善は後退することなく、その冬には、1年間つけていた足の補助具をはずし、ブーツに履き替え、そしてテニスシューズに変えていったのです。

イメージ療法を行っていた間、心を落ち込ませることにならないように、という配慮から、ギャレット君は画像検査を受けませんでした。画像上、改善の変化が遅々として見られない時、それでも自分の気持ちを鼓舞させ続けるほど、こどもの気持ちは強いわけではないですものね。だから、そのイメージの消失が、実際の腫瘍の消失を意味するものであるのか、誰もわかりませんでした。
だけど、考えてみれば麻痺していた足が動き、補助具の支えを借りなくてもテニスシューズを履いて歩けるようになったことは、どんな医学的な画像や数値の証拠よりも、本人の喜びに直結していたにちがいありません。

さて年が明けた1980年2月、ギャレット君は階段から転落してしまいました。その翌日、昼食を吐いたため、硬膜下血腫などが疑われたのでしょう。CT検査を受けることになりました。そこで思わぬ結果が判明したのです。脳内に転落の影響はないし、そしてなんと、腫瘍も見つからないことがわかったのです。

ぼくはとても安心して、また自分で自分がすごいとも思い、とりわけ、ぼくは勝ったんだという気持ちでした。

だって、そうでしょう。ぼくが腫瘍をやっつけたんだもの。

ほんとうにうれしくて、はしゃぎました。それをいちばんよく覚えています。腫瘍がなくなってしまったとき、ぼくは暗い雲の中から抜け出したのです。


引用文献:前掲書, p.107

どうして、そんなことが起こったんだろうか?と疑問になる方はきっと多く、そしてギャレット君も何度も尋ねられたことでしょう。

「どうして、ぼくが?」という質問の答えを説明するまえに、まずぼくは、この答えはかんたんではなかったと言いたい。
ぼくはがんばって、がんばって、ずっとがんばってきた。
それがいちばん言いたいことです。
らくなというか、ちょっとしたものじゃなかった。ぜったいに。

このことを一生懸命、力を入れて言わないと、「ヘーっ、きみのは奇跡だ」と言われるかもしれないからです。
でも、奇跡なんかじゃないんだ。奇跡のように見えるかもしれないけれど、だれでもできることなんです。でもそれには、すごい努力と、長い間の気持ちの集中が必要なんです。ときには、もう、ものすごく疲れて、ヘトヘトになるんですよ。

「どうして、ぼくが?」という質問に、たった一つの答えはないと思います。ぼくは神様から試練を与えられていたのかもしれなせん。それとも、ただの偶然なのかも……。でも、一生懸命やれば、あなたたちにも、なんでもできるとわかったでしょう。


引用文献:前掲書, pp.112-113

自分の身体の治ろうとする力を信じ直す、それはすべての治癒の始まりなのかもしれません。信じ直す気持ちを持つからこそ、すべての事柄に意味が見出せるようになってくるだろうから。今、いろんな治療に翻弄されて、五里霧中のような気持ちになっているご家族にとっては、特に…。
ギャレット君は決して軽症だったわけではないのですよ。後に1979年2月の頃を振り返って、CT検査を担当した放射線科の医師が「手の施しようがなくて諦めた」と述懐したほど深刻な状態だったのですから…。

ギャレット君の原稿は原題が「WHY ME?」というタイトルですが
「どうしてよりによって、ぼくが脳腫瘍になっちゃったの?」
てっきり私はそういう意味だと思って、読み進めていたのですが
「どうしてぼくが治ったの?どうしてぼくがイメージ療法で治ったの?」
そういう意味だったんですね。
小児がん患者さんにとって「WHY ME?」が発症原因を求める疑問である時、正解にはたどり着かず、果てしなく続く闇と苦悩をもたらすだけ。
だから「WHY ME?」がすべての小児がん患者さんにとって、「どうしてぼく/私が、治ったの?!」そういう嬉しい質問とイコールになるような時が早く来ますように…。

 
自分の治癒力を信じ直す気持ちは、こどもの心の中から無気力を払拭し、前向きになる気持ちの萌芽を促すように思うのです。    
2015/3/6  長原恵子