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授かった新しい命。
その大切な赤ちゃんの脳に、形成不全が起きていたと知ったら…
そして、その命が無事に育ち、日々の暮らしを楽しんでいるとしたら…。
私たち人間の命というものは、想像を遥かに超える壮大な底力を持っているのだと感じられるようなお話が、精神科医ノーマン・ドイジ先生の著書『脳は奇跡を起こす』の中にありました。

アメリカ バージニア州に住むミシェル・マック氏は、まだ母親のおなかの中にいる時に、脳の左半球へ血液を送る左の頸動脈が閉塞していたため、血流が途絶え、左半球の形成がなされなかったのだそうです。もしかしたら、生まれてからずっと、病院で過ごす生活だったのだろうかと思うかもしれません。しかしそうではありませんでした。ミシェルさんは成人され、パートタイムの仕事につき、読書や映画を楽しみ、家族と共に暮らしていました。

ミシェルさんの誕生は1973年。体重増加不良があり、動いたり泣くことがほとんどなく、目でものを追う様子もない赤ちゃんでした。生後6カ月の時、医師から右半身の部分麻痺と両目の視神経損傷と診断されたそうです。当時はCTスキャンが導入された頃で、ミシェルさんも検査を受けたそうですが、当時の画像のクオリティからは詳細がわからず、医師からは発達の遅ればかり指摘されていました。
しかしミシェルさんは追視するようになり、1歳の頃には、麻痺で固まっていた右腕が伸び、2歳になると言葉を話すようになったのだそうです。音をきっかけに興味を広げる娘の様子に、両親は希望を持ち続けました。3歳半の時、ミシェルさんは再びCT検査を受けました。そこで両親は左半球のない画像を見せられ、ようやく娘に何が起こっていたのか、わかりました。MRIの所見でも、左側は辛うじてわずかに存在し、それ以外は空洞として映っていました。でも娘の日々の成長を知っていたため、両親は希望を捨てませんでした。

ミシェルさんは独自の成長を遂げるようになりました。右手首は折れまがって少しねじれていますが、日常生活で困ることはなく使え、右脚は固定器具を使って支えれば十分歩けるようになりました。左半球で処理される画像情報は処理できないため、右側からの視野は閉ざされたそうですが、聴覚や触覚が大変発達したそうです。

本来、私たちの身体の内、右半身への指令は、通常左半球から出されるはずですが、ミシェルさんの場合は右半球からごく細い神経線維の束が右手へめぐらされていると考えられているのだそうです。ミシェルさんの脳の発達について、ドイジ先生の解説を詳しく見てみましょう。

ミシェルの左脳組織の損失は、右半球が特定の機能を果たすようになる前に起こった。可塑性は小さい.頃ほど大きいので、ミシェルが人として生きられるようになったのは、おそらく損傷がごく初期に起こったからだろう。まだ脳が形成の途中だったので、子宮のなかで右半球が機能を調整する時間があった。それに、世話をしてくれるキャロルもいた。

通常は視覚空間処理を担う右半球が、ミシェルの場合、発話の処理をするようになった。それが可能だったのだ。目がほとんど見えず、はいはいをすることもできなかったミシェルは、見たり歩いたりする前に、言葉を発することを覚えた。(略)ミシェルにとっては視覚―空間的能力よりも、発話の方がまさったのである。

このように反対側の半球への脳機能の移動が可能なのは、発達の初期段階では左右の半球がほとんど同じようなものだからだ。その後、左右の半球はしだいに特化していく。生後一年の乳児の脳スキャンでは、新しい背を両方の半球で処理している様子が見られる。二歳頃までには、新しい音を左半球で処理するようになるが、同じ頃、発話も左半球に特化していく。

グラフマンは、乳児の言語のように、視覚空間的能力もはじめは両方の半球に見られるが、脳が特化するにつれ、しだいに右に限定されていくのではないかと考えた。言いかえれば、各半球は決まった機能に特化していくようになってはいるが、その役割はきっちりと固定化されているわけではない。知的技能を身につける年齢が、それを処理する領域に強く影響している。

幼児のとき、わたしたちは自分をとりまく世界にゆっくり接している。新しい技能を覚えるにつれて、まだ役割を担っていない脳のもっとも過した処理部門が、その技能を処理するのに使われるのだ。


引用文献:
ノーマン・ドイジ著, 竹迫仁子訳 (2008)『脳は奇跡を起こす』講談社インターナショナル,pp.312-313

ドイジ先生がミシェルさんに会ってお話を聞かれた時、ミシェルさんは29歳の素敵な女性になっていました。
ミシェルさんは具体的な事柄に対する暗記、記憶力はともかく抜群で、瞬時の計算力も優れているのだそうです。データ入力作業や反復作業も得意です。普通に会話もします。テレビのコメディー番組、ニュース、バスケットボールが好きで、選挙の投票にも必ず出かけるのだそうです。仕事は教会の5,000人もの教区民名簿の登録と維持管理を行っています。教会のちらし1,000枚を片手で30分で折ることもできます。
苦手なことは抽象的な概念を理解したり、抽象的な思考をすること。自発的に何か考えて決断をしていくこと。自分のテリトリーではない土地ではすぐに迷子になってしまうこと。興奮するとうまく話ができなくなることもあるけれど、そんな時は歌を歌ったり、ナンセンスな言葉を発して気持ちを落ち着かせ、感情を解放させるのだそうです。

ミシェルの右半球は、左半球の重要な機能を担っているだけでなく、右半球「肉体」の機能の効率化を図っている。通常、脳は左と有のそれぞれが相手に電気信号を送って、出動を相手に知らせることで、お互いの発達をうながしている。だから両方がうまく調和して機能するのだ。彼女の場合は、右半球が左半球からの助けなしに発達しなければならず、右半球だけで生きていくすべを習得しなければならなかった。(略)

だがミシェルの心はちゃんと生きていて、本を読んだり、祈りをささげたり、人を愛したりしている。(略)

ミシェルの人生そのものが、「全体」というのは「部分」の寄せ集めではなく、脳が半分だからといって心も半分にはならないという生きた証拠になっている。


引用文献:前掲書, pp.291-292

赤ちゃんの頃から大きな困難を抱えていたとしても、その困難を克服していく大きな力を赤ちゃんは秘めているのだと思います。ミシェルさんのお話を知ると、諦めることがすべての終りにつながっていくように思います。諦めないで、希望を持つこと。今ある状態に不満を漏らす時間があるならば、今できることに感謝し、満足し、今できる能力を最大限に活かしながら新たな楽しみを見つけようとして行くこと。それが生きていく上で幸せをつかんでいく秘訣のように思います。

 
赤ちゃんの秘めた力を信じて、希望を持って得意なことを伸ばしていけば、いつか不得意なことが大きく変わる日が、きっときます! 
2014/11/9  長原恵子