病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
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病気と一緒に生きていくこと
未来を信じて力に変える

脳卒中に倒れた後、自由な発想に基づくリハビリをこつこつ続けたペドロ・バキリタ先生について、「ポジティブな努力が生んだ新たな能力(脳の可塑性)」「続けることの意味と価値」でご紹介しましたが、今日は心の力について注目したいと思います。

毎日変わり映えのしない日々であった時、人はどうしても後ろ向きになります。
「リハビリをやったところで、どれほどの意味があるのか…」
「いや、きっといつか良くなっていくに違いない」
自分の心の中でそんなやりとりが、一日何度も起こることでしょう。
バキリタ先生は未来を信じて、前向きに過ごしました。
何よりもそれは、脳の可塑性を引き出すためには重要であり、回復を力づけ、加速させる結果へとつながっていったのだと思います。

そしてもう1つ大切なことがあります。自分のやろうとする道を支えてくれる仲間を見つけ、信頼を寄せたことです。バキリタ先生にとってそれは家族でした。息子のジョージさんはまだ10代の学生で、決してリハビリの専門家だったわけではありません。でもジョージさんの言葉に耳を貸し、次は何をやってみようか、どんなことをやってみようかと考えていったそうです。そして父のために最善を尽くそうとする息子ジョージさんのことを、バキリタ先生はとても信頼したのです。
うまくいかないことがあっても、バキリタ先生は、決して落ち込まなかったそうです。「落ち込む」ということは、理想の自分と実際の自分とのギャップに目が行ってしまい、「こんなことじゃだめだ!」と思ってしまうわけです。でもそれは、それまでに自分が積み上げた努力や時間を「不十分だ!」と否定することになってしまうわけですよね。
生きている中では、時には自分を厳しく評価し、戒め、もっと上を目指そうとすることは必要です。そうやって人は成長していくのだと思います。しかしながら、病を抱えてリハビリをしている人に、そういったやり方を求めても、せっかく芽生えたやる気を台無しにするだけかもしれません。

バキリタ先生は立ち止まるタイプの方ではなく、いつでも何とかしようとし続けたのだそうです。自分を突き動かす力を持ち合わせている方は、良くなるための努力を続ける大きな強みをもっているのだと言えます。
そうした父親の生きる姿勢は、若き青年だったジョージさんの心に深く刻まれました。父とのリハビリの思い出は、もう何十年も前のことになりますが、当時を振り返ってジョージさんは、次のように語っています。

And so he looked forward to being vigorous and normal. And he did not look forward to being passive and dependent. (略) He was... he was motivated. He was motivated. I, you know, you, it’s very hard to put motivation in to somebody. You can help them, but they’ve got to have some internal drive. And he had a lot of internal drive.

(長原私訳)
父は活気にあふれた日常を待ち望んでいました。受け身で依存した生活など、望んでいなかったのです。(略)
父には強い積極性がありました。
あなたもおわかりのように、他者にやる気を起こさせることは、大変難しいことです。手伝うことはできますが、内側から起こる力がなければだめですから。
父はそうした力にあふれていました。

英文引用サイト:
Stroke Recovery Solutions with Dr. George Bach-y-Rita (Caregiver of Pedro Bach-y-Rita), http://www.strokerecoverysolutions.com/custom-1/StrokeRecoverySolutionswithDrBachyrita.pdf, p.18

バキリタ先生が病と向き合っていたちょうど同じ時期、ジョージさんの幼稚園の頃の先生が、脳卒中に倒れられました。幼稚園の先生はジョージさんのお父様と同年代の方でした。彼女は誰かと話したいという気持ちも湧かず、生きる意欲も失って、亡くなっていきました。きっと理想の自分とのギャップに落ち込んだのだと思います。またリハビリの道のりがとても自分には耐えられない、そんな風に思ったのかもしれません。
もう一度、活き活きとした時間を取り戻す努力にかけるエネルギーが、奪われてしまったのでしょう。
ジョージさんは父親と恩師との似た境遇の中で、分かれていった道の違いを、その生に対する貪欲さの違いに見出していました。
そしてそこから、未来を信じることがどれほど力になってくれることか、改めて実感されたようです。
脳卒中に倒れたご本人やその家族が心に留めておくこととして、ジョージさんから発信されたメッセージには、それがよく表れています。

There is a future. That really is the center of it all. There is a future. Even at age sixty-five, there is a future. And uh, my kindergarten teacher didn’t feel any future and she gave up. And that’s the hardest thing to do is to say there is future.(略)

(長原私訳)
「未来があります。それがすべての中心です。未来があります。たとえ65歳であっても、未来があるのです。私の幼稚園の先生は何も未来を感じられず、諦めてしまいました。未来があると口にすることが、最も難しいことです。」

英文引用サイト:前掲サイト, p.19

「この現状を前に、いったいどんな未来があると言うのか…」そんな風に思う方もいらっしゃるかもしれません。でも「ポジティブな努力が生んだ新たな能力(脳の可塑性)」で書いたように、脳卒中によってバキリタ先生が受けた脳神経系のダメージは広範囲にわたっていました。自分の足でしっかりとハイキングを楽しめるようになるとは、どなたも予想できないほどのものだったのです。
未来を信じるのも、信じないのもその人次第。
それならば、自分にとって心地良い未来が訪れることを信じた方が、はるかに良い結果を手にできるような気がいたします。

 
未来の自分を思い描くことが、きっと今の自分を奮い立たせてくれます。それは先になって、必ず気付くことです。        
2014/10/3  長原恵子