病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
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魂の自由から拡がる学び

ヘレン・ケラー女史に神と愛について説明をされたのは、アメリカの聖公会主教で「ああ、ベツレヘムよ」の賛美歌の作詞者でもあるフィリップス・ブルックス氏だったのだそうです。
でもヘレンにとって、それを理解することはとても難しいものでした。

彼は平易で魂をゆさぶる言葉で、“神”とは“愛”のことであり、“彼の愛”は“すべての人にとって光である”という肝心かなめの真理がつかめるように私を助けてくれました。
けれども、この“神の愛”と物質世界との関係についてはっきりとした観念を組み立てることは、どうしてもできませんでした。言語を絶するばかりの安心感を与えてくれる“光”と、リアルすぎて否定できそうもない自然の混沌や闇のあいだを行きつ戻りつしながら、私はいくたび薄暗がりや不確実さの中に自分自身を見失ったことでしょう。


引用文献:
へレン・ケラー著, 鳥田恵訳(1992)『へレン・ケラ一 光の中へ』めるくまーる, pp.39-40

しかしながら、ある日ヘレンは羽化した蝶がやがて空へと飛んでゆくことを通して、その生命の営みに思索のヒントを感じます。

生命のこのように美しい姿には、もっとすてきなことがらについての暗示が宿っているに違いありません。にもかかわらず、ある日突然やって来た直感のひらめきが私に無限の驚異を開示するまでは、例の懐疑心が私を悩ませつづけたのでした。


引用文献:前掲書, p.40

ヘレンに直感のひらめきをもたらしたのは、図書室で起こった出来事でした。ヘレンの身体は図書室で座ったままであったにもかかわらず、自分の魂がギリシャのアテネに行ったと感じたのです。ヘレンは驚き、サリバン先生にそれを伝えました。

私は、私の霊魂が実在すること、しかもそれは場所や身体の制約を完全に超えているということを悟ったのでした。何千マイルも彼方の場所をこんなにありありと“見たり”感じたりしたのは、私が霊そのものだからであり、そのことにもはや疑う余地はありませんでした。
霊にとって距離の隔たりなど問題ではありません。この新しい意識においては、神の臨在を、霊としての神ご自身の遍在を、宇宙にあまねく同席される造物主を、眼にすることができるのです。盲で唖で聾の身ではありながら、この小さな霊魂が大陸と大洋を越えて、ギリシャにまで到達できたという事実は、もうひとつ別の、津波のように押し寄せてくるわくわくした感情を私にもたらしてくれたことになります。
そのときまでに、私はすでに自分の障害を乗り越えており、触れることが眼の代わりをしてもいました。賢人の思想を読むこともできました


引用文献:前掲書, p.41

人によっては「図書室に居ながら、魂がアテネに行くなんてことが、あるわけない」そんなふうに、感じるかもしれません。
どうしてそういうことができたのか、それ以上の記述を本の中に求めることはできませんが、ヘレンにとって、大変衝撃的な出来事だったにちがいありません。
そうした感覚が正しいとか、そうではないということを私はここで取り上げたいのではありません。身体の不自由さを超えて、自分にも何か可能となることがある、それを知ったことは、ヘレンを理不尽さにとらわれる思いから解放したのではないかと思うのです。
小さい頃、ヘレンは他の子どもたちが目で物を見るということを知り、
「私の目は何をしているの?」そう尋ねたのだそうです。
世の中を物質的な側面、基準から捉えると、ヘレンは多くのハンディを抱えていたと言えます。でも身体の不自由さの有無に関わらず、魂は等しく自由であり、何物にも束縛されることはありません。
魂がアテネに行った、というのはまさにgut feeling、日本語で言えばストンと腑に落ちたといった疑いようのない確信だったのかもしれませんね。
そうした経験を得ることは、物質的な刺激だけではどうにも解釈しきれない、割り切れないような物事を解釈する時に役立ったのだろうと思います。たとえば神とか、愛とか。
「理屈じゃなくて、とにかくそうなの」といったことを受け容れる時に。

神の愛やその被造物たる人間の愛は、私を完全な孤立状態から引き離してくれますが、そうした愛のもつ力を記録しつづけ、私の不運をほかの人たちへの援助や善意の媒介として役立てることができれば、私にとってこれにまさる幸せはありません。


引用文献:前掲書, p.160

私のこれまでの人生の中で、神の愛にあたるものは何だろうか…と考えてみました。私なりの今の結論は、人生の早い時期(20代)に病気の子どもたちとの出会いを、たくさん与えてくれた事だろうと思います。
子どもたちは行動や言葉など、様々な形で私にたくさんの学びを与えてくれました。もちろん子どもたちは私を導こうとする意図があったわけではないと思いますが…。
でも、他者の心の琴線に触れるような一瞬一瞬の姿を見せる子どもたちは、神の愛が形になったような気もいたします。

 
これまで私を導いてくれた子どもたちへの感謝は、Lana-Peaceの活動を通して、その気持ちを形にしていきたいと思っています。
2014/2/7  長原恵子