病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
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埴輪 船
(東京国立博物館 蔵)
 
品名:
埴輪 船(重要文化財)
 
数量:
1個
出土:
西都原170号墳
時代:
古墳時代・5世紀
所蔵先:
東京国立博物館
展示会場:
2017/11 東京国立博物館 平成館
列品番号 J-21498(写真撮影許可あり)
 

こちらの船形埴輪は大正年間、宮崎県の西都原古墳群で行われた発掘調査(大正調査)により出土しました。外洋に出るための大型の船がモデルとなったもの(※1)と言われています。

写真1:全体像
写真2:全体像

その後、時代は平成に移り変わり、西都原 169・170・171 号墳の再発掘が行われましたが(平成調査)、西都原 170号墳の墳頂部中央に残された大正調査坑の埋土中から、この船形埴輪の一部と考えられる破片が数点出土しました。

図1:船形埴輪 大正調査で見つかったものと平成調査で見つかったもの

それらは形状、胎土、色調、焼成などの観点から同一個体と判断され(※2)、これまで「西都原古墳群出土」とされてきたこの船形埴輪は、西都原170号墳の墳頂部に配置されていたことが確定した(※3)のだそうです。

舷側(げんそく)板上縁の小さな突起はオールで漕ぐための軸受けです。そして軸受けが傾斜する方が船尾で、その反対が船首(※4)となります。

写真3:軸受け
写真4:船首部
出土した時はもちろん、こんなにきれいな形のままでで見つかったわけではありません。発掘された破片の写真はこちら(※5※6)を参照できます。破片から全体へと復元していく技術は、本当に目を見張るものがありますね。根気と集中力を要する丁寧な高い技術力が求められます。
 
会場展示板には「被葬者の魂を運ぶため、または外洋への交流を象徴するために、船の埴輪は重要でした」(※7)と説明が添えられていました。
5世紀の人々は死後の魂が海を渡って行くその先を、どのような世界だと考えていたのでしょう…? 埴輪の船と言えども、とてもしっかりした構造が再現されています。荒波や風雨にも負けないで、死者の魂を送り届けたい、そういう思いが伝わってくるようです。
 
<引用・参考文献, ウェブサイト>
※1 会場展示板 解説文
※2 宮崎県立西都原考古博物館編(2010)『特別史跡 西都原古墳群発掘調査報告書 第9集 西都原169 号墳(遺物編)・西都原170 号墳(遺物編)』宮崎県教育委員会, p.68
※3 前掲書2, p.71
※4 会場展示板 解説文
※5 東京国立博物館 研究情報アーカイブス 埴輪 船(上方から見た写真 側面・船底含む)
※6 東京国立博物館 研究情報アーカイブス 埴輪 船(船底底面側からの写真)
※7 会場展示板 解説文
 
 
<写真・図>
写真1~4 埴輪 船(当方撮影・撮影許可あり)
   
図1 宮崎県立西都原考古博物館編(2010)『特別史跡 西都原古墳群発掘調査報告書 第9集 西都原169 号墳(遺物編)・西都原170 号墳(遺物編)』宮崎県教育委員会, p.70掲載「第63図 大正調査・平成調査出土埴輪の接合関係(2)西都原170号墳」をオリジナルとし、同じ図内に含まれる家形埴輪該当箇所を当方で削除して掲載しています。
 
2018/8/6  長原恵子