病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
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岩名天神前遺跡 壺型土器・甕型土器
(明治大学博物館蔵)
 
作品名:
壺型土器・甕型土器
 
第2墓壙出土 壺型土器(須和田式)
岩名天神前遺跡
岩名天神前遺跡
岩名天神前遺跡
 
第2墓壙出土 壺型土器(須和田式)
岩名天神前遺跡
岩名天神前遺跡
岩名天神前遺跡
 
第2墓壙出土 
壺型土器(仮称天神前式)
岩名天神前遺跡
岩名天神前遺跡
岩名天神前遺跡
 
第2墓壙出土 甕型土器
岩名天神前遺跡
岩名天神前遺跡
岩名天神前遺跡
(撮影許可あり)
制作年, 国:
岩名天神前遺跡, 千葉県佐倉市
紀元前3(2世紀), 1963-64年発掘
所蔵先:
明治大学博物館(東京)
出展先・年:
明治大学博物館(東京)常設展示, 2017
 

昭和38(1963)年、千葉県佐倉市で耕作中に偶然土器が発見されたことをきっかけに、発掘調査が始まった岩名天神前遺跡。ここから弥生時代中期の7基の墓壙が発掘されました。下の図は岩名天神前遺跡に関する明治大学博物館の解説パネルですが、朱色の部分が墓壙です。その下の写真は第2号墓壙を西から撮影されたものです。それまでは全国各地の遺跡から壺型土器が発見されても、その用途は不明だったそうですが、こちらの壺型土器の中からは人骨が見つかったため、壺型土器が骨壺としての意味を成していたと判明したそうです。

また、人体より遥かに小さな壺に人骨があったことから、一度埋葬後、骨だけになったところを掘り起し、再度壺の中に入れる「再葬墓」という概念が生まれ、研究が始まったそうです。

7つの墓壙からは14個の壺と1個の甕が発見されました。そのうち人骨や骨片が見つかったものについて、春成秀爾先生の「弥生時代の再墓制」という論文の中に記されていましたので、こちらで表にまとめてみました。

  岩名天神前遺跡
1号墓 壺2個
1号壺 左脛骨(成人男性)
2号壺 前頭骨の一部、左右膝蓋骨、左尺骨(成人女性)
2号墓 壺8個 
2号壺に頭骨片(成人・性別不明)
4号壺に多量の骨粉
5号壺に右上腕骨、右脛骨片(成人男性)
3号墓 壺2個 2号壺内に骨片
4号墓 甕1個 1号甕に骨片
5号墓 壺1個 1号壺に骨片
7号墓 壺1個 1号壺に寛骨片
春成秀爾(1993)「弥生時代の再墓制」『国立歴史民俗博物館研究報告』
第49集, p.68より当方作表
こちらは岩名天神前遺跡から発掘された骨で、明治大学博物館に展示されていました。向かって左上から下へ順に
第2号墓壙 第5例土器内 右脛骨
第2号墓壙 第5例土器内 右上腕骨
第1号墓壙 第1例土器内 左脛骨です。
右上の小さい骨は
第2号墓壙第2例土器内 頭骨です。
岩名天神前遺跡

ページ前半に出した壺や甕の写真を見ると、既にお気づきになると思いますが、壺も甕もそれぞれ上方の大きさに比べて、底面積が随分小さい印象を受けませんか? 甕は古代、地面に穴を掘って埋められ、使われていました。シンプルに食料を貯蔵していたかもしれませんし、またそこで炉として火をたいた形跡を持つものは、暖をとったり、煮炊き用として使われていたのでしょう。写真の甕は中央部分が黒くすすけているので、後者かもしれません。そもそも甕は火の回りを良くするために、底の部分を小さくしたという考えもありますから、底面が小さくても不思議ではありません。ですから、上記の甕は日常使いの転用という見方もできるでしょう。

しかし今回の壺は、そうした生活用品の転用とは明らかに異なるだろうと思うのです。底面積の割に、随分高さがあるので。博物館内ではすべての壺周囲に支えがあるので、きれいな立ち姿を保っています。しかし支えなしでは、振動や刺激で容易に倒れてしまいそうです。水や粒状、細長いものを保管する日常使いの容器として、作られたようには思えません。むしろ、はじめから非日常の特別なもの、聖なるもの、とした扱いで作っていたのかな?と想像します。もしもこの細長い壺が土の中で横に寝かせたり、埋めることが前提であれば、壺に安定性を求める必要はありませんから。またある程度高さのある壺であれば、長さを伴う骨を納める時に、その形を崩すことなく、入れることができますから。

1号墓の1号壼の中にあった脛骨片(上の骨の写真の中で、一番下の骨)は、春成先生の論文によると、近位端と遠位端を欠く脛骨片は長さ19.3cm、近位端の太さは3.5×2.1cmだったそうです。そして1号壺の壺頸部の最小内径は7.2cmであり、壺の深さは38.8cmでした(「弥生時代の再墓制」, p.60)。

壺や甕の表面は円形、直線、曲線、いろいろな形が組み合わせられ、壺開口部の形はシンプルなものもあれば、すこし波がかったものもあります。埋めてしまう、すなわち人目には触れなくなるものでありながら、こうした美しい壺を用意したということ…それは故人を追悼し、敬う気持ちの現われだろうと思います。美しい造形、線描を1つ1つ作りながら、壺や甕を完成していく時間は、当時の人々にとって、グリーフケアに相当したのではないでしょうか…。


参考資料:
明治大学博物館 展示解説パネル
春成秀爾(1993)「弥生時代の再墓制」『国立歴史民俗博物館研究報告』第49集, pp.47-91
2017/10/9  長原恵子