病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
大切なお子さんに先立たれたご家族のために…
 
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独り言の届く先

5歳になったばかりのお子さん 有生(ゆうき)君を、神経芽腫で亡くされたお母様の手記(※)についてこちらでご紹介いたしました。
※ 門田家尉子(1991)『吾子よ、永遠に 母と子の小児ガン闘病の記』潮文社

それまで有生君のお母様は信仰とは無縁だったそうですが、ご主人のお母様が天理教の信仰を持たれていたそうです。おうちの中で交わされる言葉には、そうした信仰に基づく考え方があったことでしょう。
神経芽腫だった有生君は、原発巣の摘出手術を行うため、当時入院していた愛媛の病院から、東京の病院に転院するよう勧められました。しかし、ご家族が選ばれたのは、天理教の病院(奈良県)でした。精神面と医学面の両方から考え抜き、わらにもすがりたい思いで、有生君の治療をそちらの病院で受けようと決められたのだそうです。
命に真剣に向き合う時、医学(科学)的な根拠だけでは決めかねる…ということもありますものね。救いを求める先は、ご家族によって様々な選択があることは当然のことでしょう。

その病院に入院中、病院スタッフから信仰に基づく関わりや支援があったのかどうかは、本書の中で特に触れられていません。しかし、有生君にとっては、本当に楽しい時間を過ごせたことが記されています。入院していたこどもたちとの交流、医師や看護師たちとの関わり…雪が降った日には看護師が入院しているこどもたちを誘って、雪遊びをしたそうです。
天理教では「陽気ぐらし」という考え方があるそうですが、それに基づくものなのでしょうか…?その日、一日を楽しく、過ごして生きていくことって大切ですね。人間誰しもが限られた時間を生きているのだから。
見えない不安に怯えて過ごすよりも、今あることに感謝してその瞬間、瞬間を楽しく生きていくことは、大切だとわかりつつも、私など、なかなか楽しみきれない自分がいたりします。
おおはしゃぎで雪合戦を楽しむ有生君の姿。お母様が見つめる有生君の背中は、きっとこれからの治療を耐え抜いて、病気を乗り越えていく力強さがいっぱいだったことでしょう。

天理と東京での入院生活を綴った章を「一日生涯 ―母子二人三脚―」と題されていますが、一日を全生涯の如く、そんな気持ちで日々大切に一生懸命生きてきたことが表されている言葉ですね。愛媛での入院生活2か月、天理での入院生活5か月、東京での入院生活6か月、その間、有生君の頑張る姿を間近で見ていたお母様の心には、様々に思うことがあったことでしょう。そうした命に対するいろいろな思いは、有生君が亡くなってから綴られたお母様の言葉に、ひしひしと表れています。

こちらは亡くなって5か月ほど経った頃の、お母様の言葉です。

有くん、お母さんの最も淋しい時、それは朝です。
まだみんなが眠りについている早朝、一人きりで台所に立つ時、押さえ切れない悲しみが襲って来ます。
やっぱり有生はいないのだ。二度と会うことはできないのだ……
「お母さん!」と起きてくる有生は本当にもういないのだ、と。入院中も朝目が覚めた瞬間、「夢じゃないんだ。現実なのだ」と思う時が、とっても辛かった。
でも、あの頃はまだ「希望」がありました。
限りなく広がる「希望」があったのです。

今は、有くんの病気との闘いも、命の炎を消すという形で終わりました。
それでもお母さんは、決して病気に負けたとは思っていません。自分の出すことのできる精いっぱいの力を出し切って生まれた結果です。
神様の出した結論であったと思っています。
「天命」であったに違いないと思っています。


引用文献:
門田家尉子(1991)
『吾子よ、永遠に 母と子の小児ガン闘病の記』潮文社,
pp.126-127 平成元年12月17日の日記より 

その1か月後はこのように思われていました。

有くん、お母さんは一つ学んだことがあります。
人間は皆、「宿命」を背負って生まれてきているということです。(略)
逃げることのできない「宿命」なら、それと仲良くつき合いながら、その中での人生の喜びを捜し出していきたいと思うのは、お母さんだけではないでしょう。
そして、この思いも、ただ平穏無事な日々を送ってきただけなら、決して生まれてはこなかったと思います。

引用文献:前掲書, pp.153-154 平成2年1月20日の日記より 

とかく、病気を天命とか宿命論で表現されると、どうしようもない、抜け出せない理不尽さを抱いてしまいます。しかしお母様の場合、そんな風に考えるのではなく、怒りや憤りを抱えてとどまってしまうのではなく、それを我が子の身の上に起こっている出来事として受け入れ、そこから何とか良い方向へ進んでいきたいと思えたこと。そこが、すごいことだなあと思うのです。

お母さんは有くんを亡くしてしまった数日後、
教会(天理教)の方に、
「人間世界は魂の修業の場なのですよ。
長い人生を送りながら、種々な苦痛苦難に出会い、
修業をして来なさい、と送り出されてくるのです。
だから幼くして天に召される子供たちは、その修業を
しなくてもよいと引きもどされる、良い子ばかりなのですよ。
有くんもきっとそうだったのです。
今は、とっても楽しい所で、みんなと一緒に暮らしていると
思ってあげて下さいね」と聞かされたことがありました。

お母さんは、この方のこのお話を、心から信じようと思います。有くんの魂のために……。

「愛する者を奪われた悲しみとは、
どれほどのものだろうか……」

以前、何の悲しみも味わったことのなかったお母さんが、全く無知の状態で思った素朴な疑問、それが現実となり、その悲しみのどん底につき落とされました。

何も考えることのできなかった日々が過ぎ、不思議なことに、あれほど出口のない「悲しみ」という暗黒の世界に、それでも少しづつ光が射し込んで来る。この現実はとことんつき落とされた者だけが感じる感情ではないでしょうか。
そして、失ってしまった有くんの魂が、息づかいが、すぐ近くに感じられるようになってきた。

以前ある方が、「私は主人の魂を愛していましたから、肉体が失われたことについては、悲しみは感じません」と言われた言葉を思い出しました。
そして、今、お母さんも何となく理解できるようになってきました。

引用文献:前掲書, pp.154-155 平成2年1月22日の日記より

悲しみの中に少しずつ光が射し込んでくる…お母様はその時、有生君の魂を感じることができたのですね。人間の肉体に魂が宿り、この世での人生を終えて肉体が朽ちたとしても、天に帰った魂は苦しむことなく、傷つくことがないのだと思えることによって、人はどうしようもない喪失感から少しずつ抜け出せるのかもしれません。
そしてその魂が今は、心地良く過ごせているのだと感じられることは、親の心に生じた深い傷を少しずつ癒す一歩になるような気がいたします。

有くんの魂は、今、しっかりと神様が抱いてくださっていて、
肉体をいただいて生まれ出て来るんだ、ということ、お母さんはやっぱり信じようと思います。あのまま、弱い体を引きずって長い人生を生きて行くには、あまりにも有くん自身が辛く苦しい人生を送ることになったのかもしれない……。
親は、どんな形であろうとも、子供を失いたくないものです。

それは親だけの欲なのかもしれない……。

そんなことを時々考えます。

有くん、どっちがいいのだろうね。
お母さんには簡単に結論は出ません。
他人事ではない、自分自身のことだからです。1)

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今は亡き息子の一周忌を間近に控え、私は母として、
その息子の天の声を聴くことができるような思いである。
一すじの白い煙となり天に昇って行った息子は、 今、その大空にあり、私たち家族をいつも見つめているように思える。

「お母さん、ゆうくんはここにいるよ。
ここで、いつもいつも見ているよ。ちっちも淋しくないよ、
ゆうくうんね、平気だよ」と。

今、息子の魂は、暖かい神の胸に抱かれているに違いない。2)


引用文献1):前掲書, p.116 平成元年11月22日の日記より
引用文献2):前掲書, p.199

心の中のあなたの独り言、お子さんはきっとお空でそれを、しっかり聞いているはず。そしてあなたにお返事をたくさん送っています。

 

悲しい時は、お子さんに心の中で語りかけてみてください。少しずつ明るい気持ちが生まれるよう、お子さんが導いてくれるはずです。

2015/7/22  長原恵子