病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
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目や耳がたとえ不自由であっても、ヘレン・ケラー女史が自分の現世の人生を躍動的に、努力を惜しまず生きていこうとしました。その原動力は、明確な死後の世界観を信仰から得ることができたことから来ているのだと思います。それは「不滅の魂と新たな生へのつながり」で書きました。
その喜びを「漠然とした世界が燦然たる確実性を帯びてきた」とへレンは言葉に表していますが、触覚や嗅覚、あるいはそれ以外の感知する力で構成していた世界が、確実性を強く感じられるようになったという意味以上のものを含んでいるように思います。

ヘレンはこの世の生の後に生きる世界、天界をどう理解していたのでしょう。ヘレンの自叙伝から追ってみますね。

スウェーデンボルグの描写によれば、天界というのは、たんにすてきな想像を寄せ集めた世界ではなく、住むことのできる実際的な世界です。忘れてならないことは、死というのは生命の終わりなのではなく、とても重要な経験のひとつにすぎないということです。

近くにいる人であれ遠く離れている人であれ、存命の人であれ亡くなった人であれ、地上で愛した人たちはすべて私の想念の大いなる静寂の中に生きていて、それぞれの個性、それぞれの流儀と魅力を保っています。孤独を慰めたければ、私はいつでもその人たちを身近に呼び寄せることができます。もしそれを妨げるような障壁があったら、私の心は張り裂けてしまうことでしょう。

けれども私は、二つの世界があることを知っています。
ひとつは、紐やものさしで測ることができる世界であり、もうひとつは、心や直感で感じ取ることができる世界です。スウェーデンボルグは、来世とはたんに想像できるだけでなく、望んでそこに行けるところである、としています。 (略)

人がこのことをなかなか信じることができないのは、それが証明できないからというよりも、むしろ本人自身が懐疑的な態度をとっているからです。その人の利己的な欲望が霊的な努力を圧倒してしまうのです。
もっと本当のことを言えば、たぶん彼の内的能力が、まだ意識的な経験をする段階にいたっていないのです。その能力は、有効に機能するには、まだあまりにも弱すぎるのです。彼は、欲心が自分の性格におよぼす悪影響を悟ることができません。自分の霊的存在の本当の意味を理解せず、物質的な存在だけが現実だと信じるのです。(略)

私は、私の魂が霊の光の中に立ち「生と死はひとつのものだ」と叫ぶまで、確固とした思想をもってあらゆる視力を超えた視力につき従ってゆきます。自分の人生を振り返るとき、私は一度も会ったことのない人たちからとても大切な恩義を受けているように感じます。
というのも、私がもっとも愛する交わりは、心の交わりであり、私にとってもっとも誠実で頼りがいのある友は、霊の友だからです。私は、宗教をもたない自分を想像することができません。もしそれができるなら、心臓のない生体を空想することも簡単でしょう。

引用文献:
へレン・ケラー著, 鳥田恵訳(1992)『へレン・ケラ一 光の中へ』めるくまーる, pp.205-208

目の見えない、耳の聞こえないヘレンにとって「出会い」とは、実際に会ったり、話をしたり、手紙を交わしたり、電話をしたり…といった現実社会の手段を超えたものも含んでいたのだと思います。なぜならヘレンにとって何かの存在を認める上で「目で見たり、耳で聞こえることによって確証を得なければ信じられない」といった話は通用しないのですから。
たとえ故人の魂との出会いであっても、ヘレンが自分の心の中で「これは出会いだ」と認識できたものを、疑う余地はなかったのでしょう。

天界に生きる人々との交流は心の中の交流ですから、誰の助けを借りる必要もなく、誰に遠慮することもなく、自由にコミュニケーションがとれるもの。ヘレンにとって、ことのほか嬉しかったことだろうと思います。

心の中のつながりは「とても大切な恩義を受けている」と感じられるほど、ヘレンにとって力強く、そして助けになるものでした。
「一度も会ったことがない人」は、現世で間接的に自分を助けてくれた人という意味もあるでしょうし、天界で見守ってくれている誰かという意味もあるでしょう。そうした存在を心の中に感じ、感謝して生きることは、この世での生き方にプラスに働くように思います。

 
先立ったあなたのお子さんも、あなたの心の内側から、あなたに向けてずっと力を送り続けているのだと思います。 
2014/2/3  長原恵子