病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
大切なお子さんに先立たれたご家族のために…
 
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お子さんを亡くした古今東西の人々
僕は苦しくはない、ただ止めることができないだけ

今日はこどもの時に、きょうだいを亡くされた方について取り上げて考えてみたいと思います。
小説『星の王子さま』と言えば、たとえ読んだことがなくても「その名前は聞いたことがあるなあ」と思うことでしょう。筆者であるアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ氏は1917年7月10日、17歳の時に、15歳の弟フランソワを亡くされました。フランソワさんはリウマチを患っていました。

星の王子さまミュージアム(箱根 仙石原)には、弟の死を悲しんだアントワーヌが、フランソワさんの右側から自らシャッターを切ったモノクロ写真(copyright collection privee F.d.Agay D.R.)が掲げられていました。

安らかな表情でベッドに横たわるフランソワさん。その枕元にはユリの花が飾られ、胸元にはガーベラのような花が置かれていました。
人が亡くなった時、その場面を写真撮影するというのは、日本ではあまり聞かず、年長者からは不謹慎と言われてしまうかもしれません。
でも青年アントワーヌにとって、亡くなった弟の姿を写真に収めておくことは、ただひたすら、弟をいつまでも美しい姿で、永遠に残しておきたかったからなのだと思います。

亡くなった当日の午前4時、弟フランソワさんは兄アントワーヌを呼ぶよう、看護師に頼みました。その時の様子は、後にアントワーヌの作品『戦う操縦士』の中に登場します。

普段と変りのない声で彼が言う。
――――死ぬ前に言っておきたかったので来て貰った。僕は死ぬのだよ。」

神経発作が彼を痙攣させ、沈黙させる。この発作のあいだ、彼は手で「否」をくりかえしている。
ただ、僕にはこの身振の意味が解らない。僕はこの少年が死を拒否しているのだと想像する。
ところが、落ち着きが戻って来ると、彼は僕のために説明してくれる。

――怖れることはないんだよ。……僕は苦しくはないんだから。ただ僕に苦痛はないんだ。ただ僕には、発作をとめることが出来ないだけなんだ。あれは僕の肉体がやっている事なんだ。」

彼の肉体は、この時すでに、外国であり、他人だったのだ。

引用文献:
Antoine de Saint-Exupery著, 堀口大学訳(1956)『戦う操縦士』新潮社, pp.137-138

そしてフランソワさんは遺言を希望し、兄アントワーヌには蒸気発動機一基、自転車一台、騎銃一挺を託したのです。きっとすべてが、自分の宝物だったことでしょう。
アントワーヌは弟の死に立ち会い、次のように述懐しています。

人は死なない。
人は自ら死を怖れるかのように想像していた、
それは、不測を、爆発を怖れ、自分自身を怖れることだった。

死は? 怖れないのだ。
死に直面する時に及んでは死はすでに存在しないのだ。

弟は僕に言うのだった、
「それをみんな忘れずに書いて下さい……」
肉体が崩れる時、初めて本心が現われるのだ。
人間は絆の塊りだ。人間には絆ばかりが重要なのだ。

引用文献:前掲書, p.138

彼らが成長する上で、身にしみついていた信仰がどう影響しているのか、それはここではわかりません。
しかし多感な思春期の感性は、そうした信仰云々ではなく、独自の考えを生み出したのかもしれません。

ご家族の中には、最期に痙攣を繰り返して息を引き取ったお子さんの姿が目に焼き付いて、それを思い出すたびに心が苦しくなるという方もいらっしゃることでしょう。でも、フランソワさんの言葉が表しているように、決してお子さんは、苦しんで亡くなったわけではありません。
自分自身(魂)と肉体は別のものであり、肉体の動きを止められなくても、それは自分自身(魂)を苦しめるものではないと、わかります。

兄を部屋に呼び入れた20分後、フランソワさんは息を引き取りました。アントワーヌの悲しみは底深いものだったと思いますが、自分よりもきょうだい(2人の姉2人、妹1人)のことを心配しました。特にフランソワさんと常に一緒に過ごすことの多かった、妹ガブリエルさんのことを心配し、妹を抱きしめてこう約束したのだそうです。

「世界中の兄弟みんなの代わりになれるようにがんばるよ」

引用文献:
ステインー・シフ著, 檜垣嗣子訳(1997)『サン=テグジュペリの生涯』新潮社, p.73

こどもは大人以上に、互いの悲しみや心のダメージをよくわかっているものですね。

 

「死は存在しない」という言葉、それは死とは肉体の苦しみの終りであり「魂はずっと永遠」ということなのだと思います。

2014/11/7  長原恵子