病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
大切なお子さんに先立たれたご家族のために…
 
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ささやかな生きがいと見えないもの

今から150年ほど前、アメリカ ニューヨーク州グリニッチのロバートソン家に一人の女の子が生まれました。女の子の名前はアンナ・メアリー・ロバートソン。
その後、ご結婚されてアンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼスと名前が変わりましたが、「グランマ・モーゼス(モーゼスおばあちゃん)」という名前の方が、よく知られているかもしれません。
なぜならモーゼス女史は78歳の時、ドラッグストアで開かれた物品交換会に出品した絵がコレクターに見出され、翌年、ニューヨーク近代美術館メンバーズ・ルームに作品が飾られたことをきっかけに、その名が世に出るようになったからです。

モーゼス女史は12歳で家を出て、近くの農家の仕事を手伝うようになったそうですが、学校教育は奉公先の子どもたちと一緒に数年間受けただけ。
その後、ご結婚なさって、ご主人と一緒に農業をしながら、子どもを育ててきた方です。決して絵の高等教育を受けたわけではありません。
また、リウマチのため関節は痛みがあったのだそうです。
でも美しく生活空間を飾ることは、お好きだったようで、58歳の時に自宅の客間の壁紙に、湖の風景を描いたのをきっかけに、友人や親類に絵を描いてプレゼントされるようになったのだそうです。
その後、75歳で本格的に絵を描かれるようになり、それは101歳で天に召されるまで続きました。

そのモーゼス女史の画集を眺めていたら、彼女のとても素敵な言葉を見つけました。

お金はなくても、家族の愛に支えられ、自分のささやかな生きがいを見つけていければ、人にとってそれ以上の幸せはない。


引用文献:
秦新二編、千足伸行監修(1995)
『グランマ・モーゼスの贈りもの』文芸春秋, p.97

「ささやかな生きがい」とても、良い言葉です。

モーゼス女史の作品はその作品の多くから、あたたかな空気感が伝わってきます。「Invisible(見えないもの)」と題された作品(前掲書 p.96)があるのですが、黒と白と淡いベージュでシンプルにまとめられたその絵には、5人の男性が、雪の中の街を何か探している様子が描かれています。
探しているのは、人なのか、物なのか…、それはわかりません。でも、確かに5人は手分けをして、一生懸命探しています。
Invisibleと名付けられたその絵は、1961年、モーゼス女史の最期の年に発表された作品。
「見えないけれども、人生には何か一生懸命探すべきものがあるんだよ」「見えないけれども、とても大事なものがこの世にはあるんだよ」
そのようなメッセージのように、思えてきます

最期にInvisibleなものを大切にしたモーゼス女史、いったいそれは、何だったのでしょう。
モーゼスさんは10人の子宝に恵まれたのですが、そのうち5人のお子さんが生まれてまもなく亡くなってしまったのだそうです。そして70歳を過ぎた頃、病気がちだったお嬢さんのアンナさんに先立たれ、遺されたお孫さんの世話を続けたのだそうです。88歳の時には末息子ヒューさんが亡くなり98歳の時にはお嬢さんのウィノーナさんが亡くなりました。
Invisibleなものとは、もしかしたら赤ちゃんの時に亡くなった5人のお子さんと、成人してから亡くなった3人のお子さんの魂では…?
自分の住む街のどこかに、自分の子どもたちの魂が隠れているのではないかなあと探していたような…、そんな気がしてきました。

お子さんを亡くされて「もう生きていてもしょうがない」「生きがいを失ってしまった」と息苦しい気持ちでいっぱいの方もいらっしゃるかもしれません。でもInvisibleなお子さんに守られて、ささやかな「生きがい」を持つことによって、人生を精一杯、全うされたモーゼス女史の人生。
あなたにもお伝えしたいと思って、今日選びました。

※年表は 秦新二編、千足伸行監修(1995) 『グランマ・モーゼスの贈りもの』文芸春秋を参考にいたしました。

 
亡くなったあなたのお子さんに守られながら、あなたが生きがいを見つけて、人生を十分生きていくことができますように…。    
2013/12/26  長原恵子