病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
大切なお子さんに先立たれたご家族のために…
 
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露の世は露の世ながらさりながら
俳人 小林一茶は50歳を過ぎてから自分の家庭を持つようになりましたが、もうすぐ満53歳になるという頃に長男の千太郎くんが生まれました。
しかしながら残念なことに、1ヶ月ほどで亡くなってしまったことは父の願いと初袷のページで書いたとおりですが、その後、3人のお子さんに先立たれてしまいました。
※詳しくはこちらの年表に出ています。
斎藤了一(1977)『子どもの伝記全集34 小林一茶』ポプラ社, pp.177-178

一茶は大変子煩悩な人だったようで、特に長女さとちゃんのことは一茶の
『おらが春』にも登場するため、知ることができます。
無心に遊び、踊り、片言をしゃべり、いたずらをし、大人の真似をするさとちゃんの姿を見て、それはそれは、かわいく思っていたことが綴られています。
そのさとちゃんは、満一歳を過ぎた頃、疱瘡(天然痘)のため、亡くなってしまいました。一茶はどんなにか悲しかったことでしょう。
一茶の思いは『おらが春』の「露の世」に次のように記されています。

行水のふたゝび帰らず、散花の梢にもどらぬくいごとなどゝあきらめ顔しても、思ひ切がたきは、恩愛のきづな也けり。

露の世は露の世ながらさりながら    一茶

引用文献:
校注 矢羽勝幸(1992)『一茶 父の終焉日記・おらが春』岩波書店, 「おらが春」よりp.168

このような内容のお話です。

長原私訳:
流れ行く水は再び帰ってくることはないように、散ってしまった花が木の枝にも戻らないように、娘のことを「今、後悔したとしても、自分にはどうすることもできないのだ」と自分に言い聞かせても、娘への思いを断ち切ることができません。それは娘を愛しく思う、強い心のつながりがあるからこそなのです。

(和歌)
世の中には永遠などなく、すべてはやがて露のように消えてしまうはかないものであると、わかってはいるのです。
でもそうは言っても、こんなにも早く先立ってしまった娘の命を、私は世の道理なのだから、とあきらめることができません。

一茶の悲しみが、「露の世は…」に凝縮されているようですね。
一茶のおうちは浄土真宗でしたが、仏間でろうそくを灯し、りんを打ち鳴らすと、さとちゃんは家のどこにいても、はいはいして仏間にやって来て、「なんむなんむ」と言いながら、小さな両手を合わせていたそうです。きっとさとちゃんは、父一茶や母が手を合わせ、南無阿弥陀仏と唱える姿を日常の中で見ていたからこそ、その真似をしていたのでしょう。一茶の信心が生活の中に深くあったことが見受けられます。
そして一茶の心の中には、蓮如上人(浄土真宗本願寺八世)の『御文章』五帖十六にある、次の教えが心の中に浮かんでいたように思います。

われや先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれさきだつ人は、もとのしづくすゑの露よりもしげしといえり。
されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。

引用URL:
教学伝道研究センター編纂(2004)
『浄土真宗聖典−注釈版 第二版−』本願寺出版社, p.1203
『御文章』五帖十六より

シンプルな言葉ですが、意味深い内容なので、いくつか言葉を補って考えてみると、次のような意味だと思います。

長原私訳:
後鳥羽上皇がお書きになった『無常講式』には「我前人前不知今日不知明日後先人繁本滴末露」とあるように、この世の命が終わるのは、私が先であるのか、あるいは他の人が先であるのか、その日が今日であるのか、明日であるのか、誰にもわからないのです。
草の根元の方にあるしずくは、新しい葉の先にある露よりも多いと言われます。仮に命の残りの長さを水で表現したとしましょう。新しい葉先よりも、古い根元の方がたくさんしずくがあるという話もあるのですから、決して年上の者から先に、命が終わっていくというわけではないのです。
私たちはみな、たとえ朝元気に過ごしていたとしても、夕方には命が絶えてしまうこともある身の上なのですから。

※ 『無常講式』の原文出典:
花野憲道・小林芳規(1987)「仁和寺蔵後鳥羽天皇御作無常講式影印・翻刻並びに解説」鎌倉時代語研究 Vol.11 pp.295-334  PDFでも公開されているので閲覧できます。
http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/BN00326808/kamakura_11_295.pdf

一茶のことですから、蓮如上人の教えも十分にわかってはいるけれど、でもそうは言っても「やっぱり寂しい」。そんな心の内が伝わってくるようです。

この後、一茶は文政4(1821)年に次男石太郎くんを、文政5(1822)年に妻きくさんを、文政6(1823)年に三男金三郎くんを亡くしました。石太郎くんと金三郎くんが亡くなったのは、お二人ともお誕生の翌年のことでした。
50を過ぎた身の上にとって、ようやく家族ができたと思ったのに、幼い我が子と20歳以上年の離れた奥様に相次いで先立たれたことは、本当に辛いことだったと思います。

 
露は土の中に染入って消えても、太陽に照らされて蒸発し、空中に溶け込んで乾いても、ただ形を変えただけで、その本質はこの世の中にあり続けるのだと思いたいですね。                 
2013/12/5  長原恵子