病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
大切なお子さんに先立たれたご家族のために…
 
ご案内
Lana-Peaceとは?
プロフィール連絡先
ヒーリング・カウンセリングワーク
エッセイ集
サイト更新情報
日々徒然(ブログへ)
 
エッセイ集
悲しみで心の中が
ふさがった時
お子さんを亡くした
古今東西の人々
魂・霊と死後の生
〜様々な思想〜
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
 
人間の生きる力を
引き出す暮らし
自分で作ろう!
元気な生活
充電できる 癒しの
場所
悲しみで心の中がふさがった時
時と時の狭間にある無限の存在

お子さんが亡くなった後、いろいろな思いが湧き上がってきますが、人生の長さが「あまりにも短い」ことは、ご両親の心をいつまでも締め付けるものの一つです。医療が発達し、平和な世の中であるというのに、どうして我が子だけが、その人生を存分に楽しむ機会を長く得られなかったのだろうか…そう考え始めると、理不尽さで心の中はいっぱいに。
時間、それを考え始めた時に、小説『さよならを待つふたりのために』の中で、ある言葉を知りました。

悪性腫瘍を患っている若い世代の人々が集まり、お互いに話し合うサポートグループで知り合った、主人公の16歳の少女ヘイゼルとボーイフレンドの17歳の青年オーガスタスの会話の中に出てくるものです。ヘイゼルは甲状腺がんの肺転移を、オーガスタスは骨肉種を患っていました。
知り合って一時は楽しい時間を過ごします。でも、お互いをかけがえのない大切な人だ、と感じ始めていた頃、オーガスタスは自分の身体の変調に気付き、もうそろそろ自分の人生が終わりに近いと悟ったのです。
オーガスタスは、自分のお葬式の予行演習をしたい、精神状態が良い今しかチャンスがない、そう思って、ヘイゼルと親友のアイザックを夜、呼び出しました。そこはサポートグループがいつも開かれる教会の地下室でした。オーガスタスは2人の弔辞を直接自分の耳で、聞きたかったのです。

アイザックに続いて、ヘイゼルが弔辞を読み始めました。オーザックのことを「運命を左右する星がめぐり会わせた最愛の人」と感じていたヘイゼルにとって、弔辞は容易なことではありませんでした。ヘイゼルは途中、涙がこみ上げ、言葉が詰まってしまいましたが、次のように続けます。

私は数学者ではありませんが、この話はわかります。
数字の0と1のあいだには無限の数字があります。
0.1、0.12、0.112と無限に続く数の集合です。もちろん、0と2のあいだや、0と百万のあいだには、さらに大きい無限の数の集合があります。

ある無限はほかの無限よりも大きい。

かつて私とガスが好きだった作家がそう教えてくれました。

世界の時間の無限はずっと大きいのに、私に与えられた時間の無限は小さくて、その小ささに私は怒りを覚えました。私に予定された時間より、もっと長く生きていたい。

それに、オーガスタス・ウォーターズにも、もっと長く生きてほしかった。

でもガス、
私は私たちの短かった無限に言葉ではいえないほど感謝してる。
かけがえのない日々だった。

限られた時間の中で、あなたは私に永遠をくれた。
ありがとう


引用文献:
ジョン・グリーン著, 金原瑞人・竹内茜訳(2013)『さよならを待つふたりのために』岩波書店, pp.272-273

「ある無限はほかの無限よりも大きい。」その通りですね。
ヘイゼルは自分たちの無限は他の人たちよりも短い、と嘆いていましたが、きっとそんなことはないと思います。
なぜなら、時間と時間の間にある無限の存在に気付いていたのだから。

健康なお子さんであれば、ありふれた日常の時間、それはあっという間に遠く彼方へ過ぎて、記憶にさえも残らないけれど、あなたのお子さんにとって、その同じ時、過ごしていた時間は、簡単に忘れ去ってしまえるようなものではないはず。
お子さんの1日1日、その時間の中にカウントできないほどの時間がたくさんつまっていたのですから。単純に他のお子さんと比べられるような人生の長さではないのです。

あなたのお子さんの人生は、「何歳」「何カ月」「何週間」「何日」そんな風に、単純に数字で表されるような長さではありません。
気付くことさえもできないような無限の時間を、意識し、それを拾い上げていくと、その膨大さに驚くことでしょう。
時間を細分化し、無限を追及していくと、あなたの知り得ていなかったお子さんの一面を知ることができるように思うのです。

 
人生の短さを思って心が苦しい時は、お子さんの人生の時と時の狭間にあった「無限」の時間、その存在に目を向けてくださいね。  
2015/3/11  長原恵子