病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
大切なお子さんに先立たれたご家族のために…
 
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ふっと火が消され、ふわっと平安へ導かれる

山が大好きな人は、「山で死ねたら本望だ」と言います。
でも、どんなに山が好きだったとしても、お子さんが突然、山で滑落し、そのまま帰らぬ人となってしまったとしたら、遺されたご家族はどれほど心が締め付けられることでしょう。今日は、そうした気持ちを抱えて苦しんできた方へ、お伝えしたい話をご紹介したいと思います。

アルベルト・ハイム氏(1849〜1937)は、チューリッヒ大学の地質学教授であると同時に、登山家でもありました。ハイム先生は1892年スイス・アルペンクラブ年鑑に「転落死に関する覚え書き」を寄稿されており、それがラインホルト・メスナー氏の『死の地帯』に転載されています。

「転落死に関する覚え書き」とは、ハイム先生が25年以上にわたって、調査された結果に基づくものです。ハイム先生は、突然山で転落によって亡くなった方が、その瞬間どういう心境だったのかを明らかにしたいと考えました。そして、それを知るには九死に一生を得た経験を持つ方々から話を聞くことが必要だ、と体験談を収集し続けたのです。
それは山の事故に遭った方だけでなく、湖岸陥没で水中に転落した方や屋根や高い足場から転落した方など、様々な立場の方から話を聞いたり、その記事を探されたのだそうです。
その結果、ハイム先生は、たくさんの体験の中に共通項を見出しました。
そうした事故に遭った時に、人は苦痛、不快感、不安はなく、冷静さを伴っていた点です。

そしてハイム先生自身も、そうした経験をしたのです。

すぐれた山男ばかりのわれわれのパーティは、1871年、まだかなりの雪が残っているゼンティスのブラウアー・シュネー(青い雪)からゼーアルプへ向かって降りて行った。(略)
このクーロワールは、ジークフリート地図帳第240図にはっきりと記されている二つの岩稜のあいだをかなりの急勾配で斜めに下へ伸びている。
ほかの者たちは、ためらったが、私はすぐさまグリセードで降りていった。非常なスピードだった。
風を受けて、私の帽子が飛びそうになった。
そのまま放っておけばよかったものを、あわてて押さえようとしたのがいけなかった。はずみで私は転倒した。


引用文献:
ラインホルト・メスナー著, 尾崎ル治訳(1983)『死の地帯』
山と渓谷社, pp.44-45

ハイム先生は岩稜に転落して跳ね返り、20メートル空中落下して、岸壁の足元の雪の上に横たわりました。
その様子は、たとえ登山は素人の方であっても、とんでもなく大変な状況だと想像できると思います。でもその間、ハイム先生はこれから自分がどうなるのか、そして助かったらどうすべきなのか、頭の中で冷静に考えていたのだというのです。たとえば眼鏡の破片で怪我しないように、眼鏡を外した方がいいとか、5日後に行う大学講師の初講義を行うのは難しいと考えたり、このまま亡くなったら家族に申し訳ない…と詫びたり。

それから私は、すこし離れた舞台の上に、私の過ぎし全生涯が無数の映像となって繰り広げられるのを見た。私自身がその映画の主役であるのを私は見た。すべてが天国の光を浴びたように神々しかった。すべてが美しかった。苦悶も痛みも不安もなかった。

とても悲しい体験の思い出もはっきりとよみがえったが、悲しくはなかった。戦いも争いもなかった。戦いも愛になったのだ。
それぞれの映像を支配し、結びつけたのは、崇高・和解的な思想であった。聖なる静けさが妙なる楽の音のように私の心を通り過ぎた。バラ色や、とくに薄紫のちぎれ雲が浮かぶさわやかな青空がますます私を取り囲んだ――

私が宙を飛び、眼の下にどこまでも雪田が続くのを見る一方、私は苦もなく、楽々と青空へ浮かび出ていた。
客観的観察、思考、主観的感情、この三つが同時に並存した。


引用文献:前掲書, pp.46-47

こうした自分の経験とこれまでの調査とを合わせて見て、ハイム先生は次のような結論に至っています。

(略)意識はしっかりしたまま、感覚と思考が研ぎすまされ、恐怖感も苦悶もないままの死である。山で転落死したわれわれの友は、最後の瞬間に光彩に包まれた自分の過去を見たのである。
彼らは家族の者たちを懐かしく思い浮かべ、肉体的苦痛はすでに通りこしていた。純粋な、すばらしい思考、天上の音楽、和解と平安の気持ちが彼らを支配した。彼らは青とバラ色の壮麗な大空に向かって、おだやかに、ふわっと、幸せに落ちて行った――

それから突然すべてが静かになったのである。
失神は突然おこる。失神に苦痛があるわけはない。
この状態においては一秒も一千年もまったく同じである。
同じように長く、同じように短い。
われわれにとっては無である。

意識を失った者に死は何の変化ももたらさない。
絶対の平安、ふっと火を消されたような状態であることはどこまでも変わらない。


引用文献:前掲書, p.50

ここで注意したいのは、ハイム先生は決して、転落死を美化しているのではない、ということです。どうかお間違えの無いように。
たとえば過去の人生を走馬灯のように振り返る、といった事象は心理学的な、脳科学的な観点からいろいろな解釈がなされるものですが、ハイム先生はそうした論争に巻き込まれるのではなく、あくまでも、知りえた事実を淡々と記し、それを多くの人に知ってほしいと考えていたのです。
「転落死にさいして人間の精神が見せる、このとてつもない生命の高揚という事実だけを示したいのである。そしてまた事実の直接的観察という私の立場を捨てたくはないのである。」(前掲書, p.50)と仰ったハイム先生の言葉を見れば、それはよくわかると思います。

お子さんが滑落死された後、ご遺体と対面した時、破れた衣服や傷だらけの体を見て、あなたは本当にショックだったことと思います。
でも、お子さんは、ふっと火を消され、ふわっと平安の中へ溶け込んでいったことを、今あなたに伝えたいのだろうと思うのです。

 
滑落事故にあったお子さんの魂が、恐怖に晒されないように、神様はすぐに平安の中へとすくい取ってくれるのでしょうね。きっと…。 
2015/3/4  長原恵子