病児・家族支援研究室 Lana-Peace(ラナ・ピース)
Lana-Peace 「大切なお子さんを亡くされたご家族のページ」
大切なお子さんに先立たれたご家族のために…
 
ご案内
Lana-Peaceとは?
プロフィール連絡先
ヒーリング・カウンセリングワーク
エッセイ集
サイト更新情報
日々徒然(ブログへ)
 
エッセイ集
悲しみで心の中が
ふさがった時
お子さんを亡くした
古今東西の人々
魂・霊と死後の生
〜様々な思想〜
アート・歴史から考える死生観とグリーフケア
 
人間の生きる力を
引き出す暮らし
自分で作ろう!
元気な生活
充電できる 癒しの
場所
悲しみで心の中がふさがった時
思い出すことによる新たな命

かけがえのないお子さんを亡くした後、どんなに年月が経ってもその悲しさが消滅するわけではありません。
泣きたい時は泣いて良い」のページでは、「これもつとも切なり」と親鸞が表現したように、別れの中で最も悲しいものが死別の悲しみであるのだから、その気持ちを抑える必要はないと説いた親鸞の眼差しを見てきました。それでは死別の悲しみを抱えた人に、周囲はどう関わっていけば良いのでしょうか。
今回は『口伝鈔(くでんしょう)』第十八条「別離等の苦にあうて悲歎せんやからをば、仏法の薬をすすめて、そのおもひを教誘(きょうゆ)すべき事」に記された親鸞の言葉を見ていきましょう。

かなしみにかなしみを添ふるやうには、ゆめゆめとぶらふべからず。もししからば、とぶらひたるにはあらで、いよいよわびしめたるにてあるべし。酒はこれ忘憂(ぼうゆう)の名あり、これをすすめて笑ふほどになぐさめて去るべし。さてこそとぶらひたるにてあれと仰せありき。


引用文献:
教学伝道研究センター編(2004)『浄土真宗聖典 註釈版第2版』本願寺出版社, p.907

このような内容です。

長原私訳:
「大切な方を亡くした方の悲しみが一層、増してしまうような関わり方を決してしてはいけません。もし、そのような関わり方をあなたがしたならば、それは相手を慰めたことにはなりません。ますます相手を侘しい気持ちへと陥らせたことになってしまうのです。
お酒は人の心の憂いを忘れさせてくれるものだとと言われています。ですから、悲しみに沈んでいる人に笑みが浮かぶことができるよう、お酒を少し勧めて慰め、あなたは帰るべきです。それでこそ、大切な方を亡くして悲しみに沈む方へ、本当の意味あるお見舞をしたことになるのです。」と親鸞は仰せになりました。

「お酒の力を借りて、笑顔をもたらすなどとは、不謹慎ではないか」と思う方もいらっしゃるでしょう。でも、親鸞がここで示されたのは、アルコールの酔いが回り、理性を失わせ、笑わせるという光景ではありません。私はお酒を受け付けない体質なので、お酒の良さがわからないのは残念ですが、お酒を楽しくたしなむ方にとってアルコールとは、がんじがらめに拘束していた自分の心を解放するきっかけなのだろうと思います。そうしたきっかけを得ることにより、自分でも気付かず、潜在的にくすぶっていた気持ちが顔を出すことになるのかもしれません。また鎧を取り外した素の心になって語らうことは、悲しみの圧力に押しつぶされていた自分の心の、回復の一つになることでしょう。

お子さんを亡くされたご家族にとって「笑みが浮かぶような心地」、それはお子さんと共に過ごした時間の中で、お子さんが楽しく過ごせていた様子を思い起こすことによって、得られるのだと私は思います。「こんなこともあったな…」と思わず口元が緩むこと、それがきっと、笑みが浮かぶ心地なのだと思います。

病状の悪い時期が長く続いたお子さんのご家族は、「楽しかったことなんか、1つも思い当たらない…」と思うかもしれません。そういう場合は、あなたにとっての「喜び」であったはずのお子さんの成長に目を向けてほしいと思います。どんなお子さんも、必ずそのお子さんなりに日々成長しています。

私が小児外科病棟に勤めていた頃、その病院の面会時間は午後3時から午後7時まででした。大部屋はご家族の付き添いを取らないため、大部屋のご家族はたった4時間しか会うことができません。面会時間の間、いつもお子さんがご機嫌良く過ごしているとは限りません。いろいろな理由から、ご家族に対して八つ当たりをしたり、暴力的な言葉を吐いたり、不機嫌な態度を取るお子さんもいました。でも、そういうお子さんは一日中そうだったわけではありません。面会時間以外、子どもたちだけで過ごしている時に他の子どもにとても優しい言葉をかけてあげたり、気遣う様子を見せたりしているのです。先天的な身体の変形があったり、不恰好な外科的処置を受けているお子さんも入院していましたが、子どもたちは決してそれをからかったり、悪口を言ったり、いじめたりすることはないのです。誰に教えられたり、叱られたわけでもなく。きっとそれは子どもの心の中から、自発的に生まれ出た倫理観なのだと思いますが…。

ご家族にとっては当たり前のように感じていたお子さんの言動の中にも、必ず光るものがあったはずです。
当時は「そんなの当たり前だ」と、日常に埋もれていたものであっても、お子さんが駆け足でこの世を去り、時が経つにつれ、見えてくることもあります。それをどうか忘れないでほしいのです。
だってあなたのお子さんは、悲しいばかりの人生で終わったのではなく、お子さんなりに、いろんな成長を遂げた人生だったのですから。

 
リラックスできるきっかけと共に、お子さんを思い出すこと、
それはお子さんの本来の人生を探り出そうとすることにつながります。
そこに心が温かくなるような瞬間を見つけ出したならば、
あなたはお子さんの人生に新しい側面を与えたことになるでしょう。

2013/6/2  長原恵子