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病気と一緒に生きていくこと
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歌手の西城秀樹さんは2003年6月、2011年12月、と二度にわたり脳梗塞を発症を経て、ありのままの自分で良いと思うようになりました。彼にとってのありのまま、それはどういう意味を持つのか、今日は読み解いていきたいと思います。

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二度目の脳梗塞から症状が落ち着いた秀樹さんは2カ月に1回の受診、半年に1回のMRIなどの検査を受け、薬による治療もリハビリも、少し成果が見えるところまでたどり着いたと実感されました。気持ちも前向きに保つようにしました。それでもいつもそういうわけではいません。

ここまで「病気になって人間的に少し成長した」ようなことを書き綴ってきたが、悟ったわけでも達観したわけでもない。本音を言えば、今もぼくは毎日びくびくしながら暮らしている。感情の起伏だっていまだに激しい。

もしぼくの心の動きを追うカメラがあれば、毎日、毎時間、感情が激しく揺れ動いていく様子がくっきり写るだろう。たとえば朝目覚めて、「起きたくない!」と思う日も少なくない。自分を奮い立たせ、ようやくベッドから起きて着替えたあと、「散歩になんか行きたくない」と思う日だってある。


引用文献:
西城秀樹(2012)『ありのままに 「三度目の人生」を生きる』廣済堂出版, p.178

この文章を綴られたその数日前、秀樹さんは久しぶりに気持ちがひどく落ち込んだそうです。それは前の年の秋に行ったライブのビデオを長男が一緒に見ようと持ってきたことがきっかけでした。乗り気ではなかったものの、せっかくこどもが持ってきたものだから断るのもかわいそうだからと一緒に見たビデオ。そこには10カ月前、ステージの上でダイナミックに動き、歌っていた自分の姿がありました。二度目の脳梗塞の発症からだいぶ回復してきたとはいえ、かつての自分にはまだまだ及んでいない現状を突き付けられた思いになった秀樹さんは、とても辛くなったのです。

今のぼくは一体何なんだ?
普通に歌えない、動けない西城秀樹に何の意味があるんだ!

久々に自分を追い詰めてしまった。

引用文献:前掲書, p. 179

秀樹さんは「もういい加減に俺の体から出て行ってくれ!」「うるさい、病気はおまえそのものだ。おまえ自身がつくり出したんだ!」そのような問答を自分の心の中で繰り返すようになりました。初めの頃は、ただ苦しくて出口が見えない問答でしたが、やがて病気を特定の誰かに擬人化し、その人に向かって話しかけるようになったのです。秀樹さんは脳梗塞をマンガ『巨人の星』の主人公 星飛雄馬にたとえるようになりました。

「おい、飛雄馬、何でそんなに剛速球ばっかり投げてくるんだ!ぼくだって疲れるよ。たまにはスローカーブを投げてくれよ」

するとぼくの心に、もう.人の人物が現われてこう言う。

「そうだよ、星君、もう剛速球はやめたまえ!」

「おお、君はもしかして、花形満?
 ぼくの味方をしてくれるのか?」

こんなふうに、病気を題材に一人で遊べるようにもなってきた。

引用文献:前掲書, pp.179-180

病気の渦の中で翻弄されていた秀樹さんが、一次的に渦の流れから飛び出ることができるようになったということですね。そういった思考をとれるようになると、長く病気と付き合っていく上で、必要以上の心のエネルギーの消耗を避けることができますね。きっと。

もちろんここまで、数えきれないほど心が折れそうになったことがある。そんなとき、意識せずにぼくが唱えていたのは「あきらめない!」という言葉だった。やさしい響きの中に強さを秘めた言葉。ぼくにはそう思え、くじけそうになるたびこの言葉に救われてきた。
自分を励ます言葉は人それぞれだろう。ぼくがそうだったように、自分が本当に窮地に立たされると、それが自然と見つかるものなのかもしれない。

引用文献:前掲書, p.180

「あきらめない!」その言葉によって支えられ、自分を奮い立たせて頑張ってきた秀樹さんでしたが、頑張ることについても価値観を変えるようになりました。秀樹さんは若い頃は100%が好きで、何かするにも100%完全燃焼したい、100%自分のものにしたい、と思うところがあったそうです。しかし脳梗塞を二度発症し、若い頃のような満身創痍の状態ではない身体にとっては、100%を追求しすぎるとどうしても歪みが生じてしまいます。また情報過多の今の時代。だからこそ、秀樹さんは自分にとって大事なものを見据え、精神的な余分な贅肉を削ぎ落して過ごしたいと思うようになりました。10がすべてであれば、そのうちの7.5で十分だ、という具合にです。

そして「あきらめない」の他に、二度目の脳梗塞発症を通して秀樹さんの心の柱となる言葉が出てきました。それは「ありのまま」です。

要は、ぼくのほうからありのまま人と接し、ありのまま生きていけばいいんだ。

飾らず、隠さず、気どらず、そのままの自分でい続けることが一番かっこいい、と今のぼくは思っている。


これからもありのままの姿で、命尽きる日まで、たゆまず歩いていきたい。


引用文献:前掲書, p.182
2012/4/17 
大阪 オリックス劇場で歌う西城秀樹さん

ありのままの自分、すなわち病気によってかつてとは違うを受け容れることは、とても大きな勇気がいることかもしれません。そこに敗北したような気持ちを伴うと、一層、直面し難いことだろうと思います。それでも秀樹さんにとっての「ありのまま」は現実を嘆き、自暴自棄、自堕落な日々を意味するのではありません。病気によって以前のようにはできないこともある、だけどできる努力をこつこつと続ける。それが秀樹さんにとっての「ありのまま」だと思うのです。
秀樹さんは著書『ありのままに』を出版された四年後、雑誌のインタビュー記事(※1)で近況を語られていました。一度目の脳梗塞発症までが一度目の人生、二度目の脳梗塞発症までが二度目の人生、そして二度目の脳梗塞発症後の人生を「三度目の人生」と称した秀樹さん。そこでは毎朝40分かけて近所の公園へ散歩し、家ではストレッチや発声訓練も続け、東洋医学のリハビリでは骨格矯正や筋力トレーニングを行っていることをお話されていました。それはデビュー45周年の年、70回のステージに立つための努力でもあるし、家族と一緒に過ごせる時間を増やすための努力でもあります。若かりし健康だった頃の秀樹さんとは異なるけれども、ありのままの秀樹さんの姿がそこにはありました。

 
参考文献・ウェブサイト:
西城秀樹(2004)『あきらめない ー脳梗塞からの挑戦ー』二見書房
西城秀樹(2012)『ありのままに 「三度目の人生」を生きる』廣済堂出版
文春オンライン:西城秀樹が遺したメッセージ「2度の脳梗塞には感謝している」追悼・西城秀樹 生前語った「3度目の人生」(出典:文藝春秋2016年12月号)
 
写真:
西城秀樹(2012)『ありのままに 「三度目の人生」を生きる』廣済堂出版, p.183より引用
 
人は誰しも心の闇と光の部分を持っています。闇の部分に引きずられてしまい、鬱々としてずっと時を過ごすのか、あるいは闇の中からなんとか光の部分を探し求めて努力するのか、その姿勢はこれから歩む道へと繋がっていくのだと思います。
2018/9/2  長原恵子
 

関連のあるページ(西城秀樹さん)

「自分を導く言葉との出会い「あきらめない」」
「気持ち、心持ちの秘めた力」
「弱さと対峙し、動き出した進行形の人生」
「ありのままの自分を生きること」※本ページ
「塞ぎこんだ心の底にあるもの」
「「同志」の家族が引き出す生きる力」