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ヘレン・ケラー女史の自叙伝の中には、目と耳が不自由な方との交流のお話がいくつか記されています。ヘレンがあまりにも有名であるため、目と耳が不自由だという方 =(イコール) ヘレン・ケラーというイメージが大変強くあったのですが、当時いくつもの不自由さを抱える方がこんなに多くいらっしゃって、決して有名ではなかった方々も、それぞれがしっかりとご自身の人生を生きていらっしゃった、ということを知り、驚きと敬服の気持ちでいっぱいとなりました。

さて、今日ご紹介したい方はその中のお一人、フランスの女性でバース・ギャロン女史です。ギャロン女史は10歳のとき失明し、やがて数週間後に聴力も失われたのだそうです。それでも教育は「細心の注意と熱心とをもって授けられ、ことに文学の鑑賞ということにかけては特別の注意が払われた」のだそうです。何もかも、あきらめるのでなくて、そのお子さんにあった教育がいかに大切であるか、あらためて知ることができます。

ギャロン女史はヘレンの自叙伝を読んで、読唇術によって意思疎通が図れることを知りました。それがきっかけで、二十年来お手紙のやり取りが行われ、交流を深められました。

ある時、ギャロン女史は自作の詩をヘレンに贈ったそうですが、ヘレンはその詩に次のような感想を寄せました。

フランスの将軍や政治家の名前が忘れられる時が来ても、これらの詩は、たとえ不幸によって外形の生活は破壊せられたにしても、精神の力は征服せられるものではないということを証明するものとして、残ることでありましょう。

引用文献:
ヘレン ケラー著, 岩橋武夫訳(1966)『わたしの生涯』角川書店, p.406

生きている間には、いろんなことが起こります。それが自分の望むものであろうと、望むものではなかろうと、起こってしまった出来事に対して、私たちは嬉しさや喜びを感じたり、悲しさや辛さを感じます。
ヘレンのこの言葉を読んだ時、私は小児外科病棟で働いていた時、出会った少年のことを思い出しました。その少年はある病気のためにしばらく長く入院していたのですが、大変な治療が始まっても精神的に崩れる様子を見せませんでした。どんな時も。決して強がっていたわけではなく、表裏があるわけでもなく。何か無理をしているのではないか…とも思いましたが、別に虚勢を張っていたわけではないのです。

その芯の強さは一体、どこから来るのだろうかと思いましたが、ある日ご両親の関わりにあることに気付きました。言葉数少ないご両親ではあったけれども、お子さんと病室で一緒に過ごされている時、とても静かな、でも、とてもしっかりとした連帯感のようなものがいつもあったのです。
そこにお父様、お母様がいらっしゃるだけで、少年に安心感が湧き出てくるような印象を受けました。お二人とも静かな方だったけど、誠実で、とてもあたたかいお人柄で、その空気感が少年を包み込んでいるような雰囲気だったのです。そこから少年の心の中に、強さが生まれたのではないかなあと思うのです。

「たとえ不幸によって外形の生活は破壊せられたにしても、精神の力は征服せられるものではない」という言葉のように、どんなに大変な境遇がお子さんに起こったとしても、お子さんの精神の力は征服される必要はないのです。言い換えれば、どんなに大変なことが起こっても、精神の力は征服されない、そんな可能性を秘めているのです。

 
あなたのお子さんに大変な出来事が起こっても、そのお子さんらしさまでもつぶれてしまいませんように…。
2014/2/17  長原恵子